甲子園大会中止を命じた文部省幹部の苦悩〜第1回大会に出場した元球児
2018年05月28日 11:00
野球
主催の朝日新聞社はすでに6月4日付で大会開催の社告を出していた。前年1940(昭和15)年同様、陸上、水泳、庭球などとともに全国中等学校体育競技総力大会の一部門として行うとしていた。文部省は総力大会を後援、野球大会を公認していた。
すでに指定席券の前売り販売も、6月14日の鹿児島を皮切りに多くの地区で予選も始まっていた。突然の中止だったが、防諜(ぼうちょう)上の見地から報道管制が敷かれ、大会中止の社告を掲載することも許されなかった。
日中戦争は4年目に入り長期化していた。6月22日にはドイツがソ連に侵攻、7月7日開催の関東軍特種演習(関特演)に80万人の大規模兵力の動員令が下っていた。鉄道、交通の規制、旅行も制限されていた。
この甲子園大会を中止に追いやった文部省の中心人物が小笠原道生である。同年1月、体育課が局に昇格、41歳の若さで初代局長に就き、体育行政を担っていた。
野球弾圧の役目を負わされた心情を思う。相当な苦悩ではなかったか。
この点について、一橋大教授、坂上康博は『にっぽん野球の系譜学』(青弓社)で小笠原の経歴を紹介したうえ<まさに歴史の皮肉というほかないだろう>としている。
小笠原は球児だった。それも和歌山中(和中=現桐蔭高)の選手として全国中等学校優勝野球大会に1915(大正4)年の第1回大会(豊中)に左翼手、第2回大会(鳴尾)に遊撃手として出場している。
野球が好きでたまらず、和中時代、勉学に支障をきたすという父親や教師の圧力にも屈しなかった。当時「野球校長」と呼ばれた野村浩一をたたえる記念誌『野村校長』に、小笠原の同級生が<先生(野村校長)は諄々(じゅんじゅん)と説かれ(中略)、しかるに間もなく小笠原父君は大に非を悟ったとて、再び小笠原君を選手とされた>と寄稿している。父親は野球部後援会長に就任する心変わりようで、小笠原の野球への情熱が実ったことがうかがえる。
和中卒業後は高等学校の試験にも合格、旧制四高から東京帝大(現東京大)医学部に進んだ。東大在学中の1921(大正10)年には母校和中の全国優勝を鳴尾で見届けた。大阪朝日新聞に『和中の優勝と運動の真髄』と題した一文を寄せ<ああ、何たる崇厳の感だ>と感激を記している。
1922(大正11)年12月2日、母校和中グラウンドで皇太子殿下(後の昭和天皇)が初めて野球試合(和中現役軍―OB軍)を台覧された際には塁審を務めた。
東大卒業後は文部省に進んだ。野球への情熱は衰えなかった。夏の甲子園大会前には帰省し、和歌山県予選で球審など審判員を務めている。
ただ、戦時の体育行政をつかさどる者としての姿勢には<多くの野球人は彼を「時流におもねった」と非難した>と元巨人球団代表の山室寛之が『野球と戦争』(中公新書)で指摘している。
甲子園大会中止の翌1942(昭和17)年、文部省は「新体制」で総力大会を開催、野球大会も自ら開催する意向を主催の朝日新聞社に通告した。新体制とは前年9月設立の文相を会長にした大日本学徒体育振興会(学体振)である。
大会役員の佐伯達夫(後の日本高校野球連盟会長)が文部省とかけ合った。面会したのが早大時代、和中で指導したこともある小笠原だった。
だが、小笠原の態度は硬く、『佐伯達夫自伝』(ベースボール・マガジン社)で<すべてのスポーツを学徒体育振興会の下において、自分たちが支配しようという考えがあって、軍の威光に便乗した>と受け止めた。
41年の中止で夏の甲子園大会3連覇が幻となった海草中の野球部生みの親で、和歌山県野球協会の丸山直広が1960年に編んだ『和歌山県高等学校野球史』で<小笠原体育局長(和中OB)はかつて全国大会にも出た人で理解されたが>と前置きしたうえで、やはり<軍の威光に便乗した>と記した。
朝日新聞は主催権は譲るとして、大会回数と優勝旗の継承を望んだが、拒絶された。佐伯は<大会が始められて以来、非常に好意的だった小笠原体育局長が朝日のこの申し出まで一顧だにせず、けんもほろろに蹴った心情は私には今なお不可解だ>と記した。
当時の事情を小笠原は戦後64年に出た『選抜高校野球35年史』(毎日新聞社)に記している。<内閣から一箇所に多くの人が集まる全国大会は中止せよと指令が出た><交渉した結果、真に必要と思う大会を文部省が責任もって開催してよいことになった><この種大会を一年でも長く一回でも多く開催させたい考えだった>。
『学生野球憲章とはなにか』(青弓社)の著書もある社会学博士、中村哲也は『戦時体制下における体育・スポーツ政策の展開と学生野球の「弾圧」』(2008年、スポーツ史研究第21号)で飛田穂洲と小笠原道生を並べたうえで戦時の社会状況を指摘する。<飛田や小笠原らが教化を目的としたスポーツ論を展開する背景には、娯楽映画やカフェやダンスホール、麻雀などが禁止されていく社会状況においても、可能な限りそれを求める選手やスポーツファンの姿が存在する>。
政府、軍部の圧力のなかで苦渋の判断だった。
小笠原はいわば自らの手で消滅させた甲子園大会について、1943(昭和18)年8月発行の『全国中等学校優勝野球大会史』(朝日新聞社)で「新しきものに生きる真実の歴史」と題した文章を寄せている。
<他の何人よりも、私こそこの大会をよく識(し)っている>と選手、審判、役員として参加してきた26年間を振り返り、<大会の精神は新しい大会にそのまま生き(中略)歴史は脈々と続いている>と記した。
<むしろ私自身が最も深い愛惜の情を感じる>とは本音だろう。小笠原もまた、心で泣いていたのだろう。 =敬称略=
(編集委員)
◆内田 雅也(うちた・まさや) 戦時、甲子園大会を中止に追い込んだ小笠原道生氏は桐蔭高(旧制和歌山中)野球部の大先輩にあたる。これまで何人かの先輩に尋ねてみたが、もう小笠原氏を知る者はいなかった。いわば「悪役」として名が通っているが、少しでもその真情に触れてみたかった。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。
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