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球団に背番号も、選手生命も奪われた名将の右腕 路頭に迷うはずが給料はアップのミステリー???

2024年07月25日 12:14

野球

球団に背番号も、選手生命も奪われた名将の右腕 路頭に迷うはずが給料はアップのミステリー???
早川実氏(写真は楽天スカウト時代) Photo By スポニチ
 プロ野球中日の元投手で、引退後は広報、裏方などで星野仙一元監督(2018年死去)を支えた早川実氏(75)がYouTube「ピカイチ名古屋チャンネル」にゲスト出演。思わぬ形で「幕引き」された現役生活ラストのエピソードを明かした。
 早川氏は1975年ドラフト4位で中日入団。中継ぎで通算2勝を挙げ、4年で現役生活を終えた後は、打撃投手や用具係など球団職員として活躍。星野さんが監督に就任した87年から監督付広報となり、投手コーチ、スカウトを歴任し、「右腕的存在」として奮闘した。

 同じくゲスト出演した中日OBの川又米利氏(63)とは、79年の1年間、一緒にプレー。川又氏が「僕、(早川さんの)17番、見てますもん」と当時を懐かしむと、早川氏はホロ苦い過去を語り始めた。

 「(その年)牛島(和彦氏)がドラ1だった。で、秋季練習していると、球団へ来てくれって言われて。“何だろうな、今頃”と思ってたら、(球団から)牛島が(背番号)17欲しいから、お前(現役)辞めろって」

 あまりに非情な通告。同じくゲストの彦野利勝氏(59)が「背番号代えろ、じゃなくてですか?」ともっともな疑問をぶつけると、早川氏は「30歳になったらいいだろ、大きい番号つけてやらんでもって言われた」と続けた。

 しばらく迷っていた早川氏も、最後は「全面降伏」する形で、球団が用意した打撃投手&用具係のポストに就くことを決意。当時の早川氏は年俸380万円でプレーしていたものの、「(現役)辞めたら、420万円くれるっていうの。それもすごいことだろ。オレ、一生懸命やっても届かなかった金額をやめたらくれるっていうんだから」と、ぶっちゃけていた。

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