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【筑後鷹】中村亮太 7月に支配下へ再昇格 天国の友へ雪辱を誓い、背番20が腕を振る

2024年08月06日 06:00

野球

【筑後鷹】中村亮太 7月に支配下へ再昇格 天国の友へ雪辱を誓い、背番20が腕を振る
ソフトバンク・中村亮
 7月下旬に支配下選手に再昇格したソフトバンクの中村亮太投手(26)が、1軍マウンドでのリベンジを誓っている。前回、支配下に昇格した2022年は2度の登板で思うような投球ができず、わずか4カ月後には育成選手に逆戻りとなっていた。大学時代の1学年後輩である亡き友への思いも胸に、次こそは全身全霊を込めてマウンドで腕を振る。
 プロ2年目の一昨季、7月に1度目の支配下昇格をつかみ取った。しかし、中村亮にとって念願だった1軍マウンドは悔しい結果に終わる。7月7日の初登板は1イニング3失点。同20日の登板も1回2/3を投げて7失点と打ち込まれた。

 「見るからに表情が負けていました。情けないなって自分が嫌いになりました。ランナーが出て、連打を浴びてとなるうちに“あれ?”“やばい、やばい”で終わってしまって。簡単に抑えられるなら育成での入団ではない。結果がどう出るにしても自分の投球をするだけだったのに」

 結果を出さないといけないという思いが空回りした。当時2軍で培った自信が完全に崩れてしまった。これまでは必ず見返していた登板時の映像も途中で閉じるなど直視できなかった。そこから2カ月ほどは「自分はやり返せるのかなとマイナス思考になってしまって。野球から逃げたい時も正直ありました」と振り返る。

 ただ、落ち込んでばかりいるわけにはいかなかった。急逝した佐々木葵さんの存在があった。東農大北海道オホーツクで1学年後輩の投手で「一緒にプロになろうな」と高め合った間柄だった。中村亮が4年時に骨肉腫が見つかり右足を切断。プロ1年目だった21年の9月に天国へと旅立った。

 佐々木さんが立ちたくても立てなかった舞台に自分は立てている。改めて思い返して前を向いた。「野球をしたくてもできない人もいる。1軍で活躍するためにプロ野球選手になって、1軍で投げることが怖いなんてくじけている場合じゃないなって」。ともに戦う思いも込めて今も登板の際はマウンドの土に佐々木さんの背番号「51」を刻んでいる。

 昨季は一度戦力外となり、育成選手に戻っての再出発となった。ショックもあったが、決意を新たにウエスタン・リーグ最多の53試合に登板した。当時2軍監督だった小久保監督からも「(1軍での悔しい投球は)自分の人生でいい経験になると思うけど、それもおまえのこれから次第。それがプロの厳しい世界だから」と声をかけられていた。春のキャンプ時には「向き合わないと同じことになる」と映像をしっかり見返した。

 もう怖がることはない。「一日一日、自分の中で満足のいく練習を積み重ねていけばピンチでも腕を振れる。たとえ連打されても強気にいけるのかなと思ってます」。7月24日に支配下に再昇格。4日に1軍昇格した。新たに背番号20を背負った中村亮がベストを尽くす。 (木下 大一)

 ◇中村 亮太(なかむら・りょうた)1998年(平10)5月18日生まれ、千葉県出身の26歳。千葉経大付を経て東農大北海道オホーツクから20年育成ドラフト8位でソフトバンクに入団。今年7月に2度目の支配下昇格を果たす。阪神で監督やGMを務めた中村勝広氏(故人)が大叔父。背番号20。1メートル82、79キロ。右投げ右打ち。

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