松井秀喜氏「100周年の聖地で100%のプレーを」 甲子園で熱戦に臨む球児たちにエール

2024年08月06日 05:30

野球

松井秀喜氏「100周年の聖地で100%のプレーを」 甲子園で熱戦に臨む球児たちにエール
18年8月5日、100回大会の「レジェンド始球式」で開幕戦の星稜―藤蔭に登場した松井氏 Photo By スポニチ
 第106回全国高校野球選手権は7日に開幕する。舞台の甲子園球場は1924年8月1日に開場し、100周年を迎えた。節目に際して、元巨人、ヤンキースの松井秀喜氏(50=現ヤ軍GM特別アドバイザー)が、本紙を通じて球児へ「100周年の聖地で100%のプレーを」とメッセージを送った。星稜時代に4度甲子園に出場し、聖地での活躍を経て「ゴジラ」の愛称も得たスラッガーは、聖地への思いも語った。 (取材・大林 幹雄)
 03年の大リーグ移籍以降、米国に生活拠点を移してからも、ネット中継などで春夏の甲子園大会をチェックしているという松井氏。メモリアルイヤーの大舞台に臨む球児へのメッセージに、2つの「100」を入れた。

 「せっかくの記念の年ですから。良いじゃないですか。2つの語呂も良いですしね。やっぱり、最高の場所で自分の一番良いプレーをして、良い思い出をつくってほしい」

 全ての球児と同様、松井氏にとっても、甲子園は憧れの場所だった。

 「子供の頃に見ていた甲子園の方が思い出深いですかね。池田高校(徳島)とPL学園(大阪)。ちょうど水野(雄仁)さんや桑田(真澄)さん、清原(和博)さんの頃かなと思います。一番熱中して見ていたのは。その頃の試合は、よく覚えていますよ。今でも」

 エース・水野と「やまびこ打線」を擁する池田を、1年生の「KKコンビ」が投打の中心を担うPL学園が撃破。PL学園が黄金時代を迎える分岐点となった一戦は、当時小3の松井少年に衝撃を与えた。

 自身は1~3年夏、3年春の計4度、甲子園に出場。3年の選抜で3本塁打を放つ活躍により新聞紙上で「ゴジラ」と愛称が付けられ、3年夏は明徳義塾戦で5打席連続で敬遠されたことが社会問題にまで発展した。

 「その場所(甲子園)を目指して3年間やってきましたので。そこでやることが目標。その先は考えていなかった。良いプレーも良くないプレーも、いろいろありましたけど、全てが素晴らしい経験だったと思いますよ」

 素晴らしい経験、素晴らしい思い出にするために。松井氏らしく強調したのが、「準備」の大切さだ。

 「しっかりと悔いのない準備をして、悔いのないプレーをしてほしいですね。もちろん結果が出る、出ないはあるし、勝ち負けは絶対あるんですが、とにかく良い準備をして、終わってみて素晴らしい思い出になるようなプレーをしてほしいです。一生の思い出になりますから、甲子園の試合は」

 100%の準備が生む「100%のプレー」を、ゴジラも、甲子園も、温かく見守っている。

 ≪18年に星稜後輩の前で始球式≫松井氏は、18年夏の第100回大会で甲子園に来訪。8月5日の開幕戦で、節目の大会で連日行われた「レジェンド始球式」のトップバッターを務めた。母校の星稜が組み合わせ抽選で開幕戦を引き当てる奇跡的な巡り合わせ。当時のエース・奥川恭伸(現ヤクルト)の前で捕手の山瀬慎之助(現巨人)へ全力で投げた球は、外角へのワンバウンドに。頭を抱えて悔しがり「この年になって甲子園の魔物に襲われました」と話していた。

 ≪今夏から朝夕2部制の導入に理解≫今夏の甲子園大会からは朝夕の2部制が採用される。松井氏は「やっぱり、それは球児の体が第一、(スタンドで)見ている方の健康第一なので」と賛同。環境の変化に応じた大会運営について「時代とともに、いろいろなことが変わる。それに合わせていろいろな試みをするのは、当然といえば当然。変わっていくのが普通の姿だと思います」と話した。

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