金メダリストの後輩がアウェーで厳しい現実と向き合った件
2016年09月17日 09:10
格闘技
「トロヤノフスキーはそこまでパンチがあるとは見えなかった。(小原の)右をテンプルに受けただけで、たたらを踏んでいたし…」。首をかしげた村田は「小原は減量の影響なのか、胸板の筋肉に張りがなかった。シワシワでおじいさんみたい。普段の体重は75キロぐらいあるし、スーパーライト級もちょっと無理があるのでは」。慣れない地での調整の難しさと、10キロ以上の減量の厳しさを思いやった。
小原にとって大学時代の村田は「自分が見た中で一番怖い先輩。背中で語るタイプ。拳でも語るけど(笑い)」。当時を知る人からは、いわゆる“かわいがり”を受けていたとの証言もある。それでも村田を「嫌だと思ったことはない」。誰よりもボクシングと真剣に向き合い、練習する姿を見ていたからだ。練習をさぼって遊びに行ったことがバレると、「何のために大学に来たんだ!」と激怒した村田に10分間殴られ続けたという。
卒業後1年間の商社勤務を経て村田より先にプロデビューも、いきなりTKO負け。13年4月に日本スーパーライト級王座を獲得したが、その4日後に村田のプロ転向会見でスパーリング相手を務めさせられ、ボコボコにされた。「でも、全国紙に載ってうれしかった」。そこから東洋太平洋王者、指名挑戦者決定戦と手順を踏んで先輩より先に世界挑戦が実現。「村田さんに“先に(世界を)獲っていいよ”と言われて、オッと思った。誰もが“(村田が)先に世界へ行くんだろうな”と思っていたんだろうけど。素直に受け止めて、先にタイトルを獲ってきます」と話して成田から飛び立った。
小原はヒーローもの、家族ものの作品が好きだという。本や映画ではほとんど泣かないそうだが「サマーウォーズは泣いた。ベロベロに酔っていたのもあるけど…」。モスクワにはヒール役として参上し、ヒーローにはなれなかった。村田は言う。「海外は時差があって、食事も大変。それを考えると日本開催はアドバンテージがある。だけど、重量級はしょうがないです」。実は村田も年末に日本で世界初挑戦する交渉が進められていたが、実現しなかった。世界へ挑むことすら困難な重量級。ヒーローへの道のりは険しくて長く、だからこそ一歩一歩に価値がある。(専門委員)
◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)1967年2月、千葉県生まれ。中・高は軟式テニス部。早大卒、90年入社。ラグビーはトータルで10年、他にサッカー、ボクシング、陸上、スキー、外電などを担当。16年に16年ぶりにボクシング担当に復帰。リングサイド最前列の記者席でボクサーの血しぶきを浴びる日々。