肩書多数のLiLiCo 演歌歌手時代も…当時のギャラ額明かす「そこにぶち込んでくれた」
2024年11月02日 18:29
芸能
そんなLiLiCoの最初の挑戦は、モデルだった。しかし当時は現在と違い、モデルに個性は求められなかった時代。「ちょっと顔が、うざかったの」と笑いながら明かし、あきらめたことを明かした。
その後、多くの演歌歌手を教える先生に弟子入り。スウェーデンで生まれ育ったLiLiCoは当時、まだ日本語も満足に話せず、「毎回落ち込んで、やっぱり日本は難しい。日本語も難しいし、日本も難しい」と失意に暮れていたという。
そんなある日、先生から思ってもみない提案が。「突然、“浜松にビアガーデンがあるから行ってみたらどう?”と」。静岡には大企業も多く、当時は夏祭りなどイベント数も豊富。“習うより慣れろ”で、ステージに立って歌う営業を始めたという。「1989年にデビュー。2ステージやって、ギャラ3000円で。先生の知り合いの浜松の事務所が、そこに歌手をみんな入れていたので、そこにぶち込んでくれた」と振り返った。
当時の自身を語る際、「おもしろおかしく“私、浜松に売り飛ばされたのよ”と言っていた」と、ジョークもまじえていたという。しかし後日、番組を通じて先生と再会し、その真意を聞いたという。「“理由を知りたい”って言ったら、“この子はレッスンじゃない。場数だというのがすぐ分かった”って」。実戦経験を積ませることで伸びるタイプだと察し、あえてステージへ送り込んでくれたという。
すると、当時のマネジャーは「この子、絶対売れるよ」と才能を見いだしてくれたといい、「私、それを待っていたの。私を信じてくれる人を待ってたのよ。やった!と思って」と笑っていた。