あの日、ドーハでカズが泣いた…レンズ越しに見た「悲劇」

2020年05月14日 05:30

サッカー

あの日、ドーハでカズが泣いた…レンズ越しに見た「悲劇」
93年10月28日、W杯アジア地区予選最終節でイラク代表に敗れ、ピッチで泣き崩れる三浦知良(11) Photo By スポニチ
 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~サッカー編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。サッカー編の第3回は、94年W杯米国大会アジア地区最終予選の最終節。カタールの首都ドーハで、日本―イラク戦は行われた。勝てば史上初のW杯出場が決まる。日本は、三浦知良のゴールなどで2―1とし、後半ロスタイムを迎えていた。夢はすぐ、そこだった。だが、残り数十秒で日本サッカー史上最大の「悲劇」が生まれる。日本サッカーをけん引しキングと呼ばれた男が、泣いた。
レンズの向こうでカズが泣いていた。
彼が泣くのを初めて見た。
やりきれない思いは同じだ。
米国行きを夢見て
一緒に戦っているつもりだった。
あの時ドーハにいた人間は
みんなそうだっただろう。

W杯出場まであと20秒。

イラクの痛恨の同点ゴールで
天国から地獄に落とされた。
現場にいるカメラマンが
一緒に泣いていては仕事にならない。
シャッター音が
アルアリスタジアムに響いた。
カズの嗚咽(おえつ)とともに。
入社6年目
こんな思いは初めてだった。
なんて因果な商売なんだ。

1992年3月
外国人として初めて
ハンス・オフト氏が
日本代表監督に就任した。
就任会見を取材したカメラマンは
私を含めて4人。
まだその程度の注目度だった。
W杯は日本には縁のないものと
誰もが思っていた。
しかし、オフト氏は言い切った。
「私の仕事は日本をW杯に連れていくこと」
誰も信じていなかった。
ところが日本のサッカーは快進撃を始める。
ダイナスティカップ優勝。
アジアカップ優勝。
Jリーグ開幕。
起爆剤はブラジル帰りのカズだった。
苦しい試合でも「彼ならなんとかしてくれる」
この日も先制ヘッドを決めていた。

あれから四半世紀。
53歳のカズは今も現役にこだわり続ける。
そして4年に1度
W杯が開催されるたびに口にする。
「代表入りしてW杯に!」
私には冗談には聞こえないのである。
(篠原 岳夫)

 《「歓喜」への種をまいた名将オフト》92年3月、日本代表監督に就任したオフト氏は、視線で意思疎通する「アイコンタクト」や三角形をつくりパスを回す「トライアングル」など、分かりやすい言葉で戦術を浸透させた。退任後も、その手腕を評価され、磐田、京都、浦和などJリーグ監督を歴任する名将だった。93年10月29日付紙面はこう、結ばれる。「歴史は変わらなかった。しかしオフト監督の下で生まれ変わった日本代表の描いてきた栄光への軌跡は続く。挑戦に終わりはない」。この4年後、マレーシア・ジョホールバルの地で「悲劇」は「歓喜」になった。

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