【アジア杯】林陵平氏が読み解くイラン戦 相手システム変更で失った中盤数的優位 3バックなら対応できた

2024年02月05日 04:30

サッカー

【アジア杯】林陵平氏が読み解くイラン戦 相手システム変更で失った中盤数的優位 3バックなら対応できた
イラン戦の後半、板倉がクリアしようとジャンプするがボールに触れず。この後、PKにつながるファウルをしてしまった(撮影・西海健太郎) Photo By スポニチ
 3大会ぶり5度目の優勝を目指したFIFAランク17位の日本代表は3日、準々決勝で同21位のイランと対戦し1―2で逆転負けした。主導権を握りリードを奪った前半から一転、相手の高い強度やパワーに圧倒された後半を、東大サッカー部前監督の林陵平氏(37)は鋭い分析力で戦術的に解説。徹底的に対策された場合の打開策や、今後の課題なども的確に示した。
 まさかの8強敗退となった一戦を林氏は「相手は良さを出させないための対策をどんどん打ってくる。イランの後半の修正を受け、日本はチーム全体が受け身になってしまった」と総評した。

 負けられないイランは後半、守備の立ち位置を変更。同じ4―4―2ながら、中盤をフラットにしてミドルゾーンで構えていた前半から、「最終ラインと前線からのプレスの位置を高く設定し、中盤の形もダイヤモンドにして、(2トップの)アズムンとゴッドスが前から冨安と板倉のセンターバック(CB)を捕まえにきた」という。

 日本の4―2―3―1とのかみ合わせやシステムの構造上、本来なら「中盤はイランの2ボランチに対し、(久保、遠藤、守田の)3人で数的優位をつくれるはず」というが、イランはそれさえも上回ってきた。

 「ゴッドスが少しセンターバックをけん制しながらも、絶妙な立ち位置で、ボランチ1枚も消していた。あとはゴッドスとアズムンがCB2枚を捕まえに行った時、(イランの)サイドハーフがサイドバック(毎熊、伊藤)をあまり意識しないで、中に絞ることによって数的不利の真ん中のスペースを消していた」

 それにより「板倉と冨安はパスの出しどころがなくなり、GKに下げざるを得なくなって、苦し紛れの長いボールになってしまっていた」。後半10分はまさにこの形から失点。日本のビルドアップの機能不全はこうして起こっていた。

 解決策がなかったわけではない。「相手の2トップに対して、常に数的優位を保てる3バックにすることもできたと思う。バーレーン戦は守備的な3バックだったけど、攻撃的に3枚という考え方ができれば、早い時間帯でも変えられたはず。3バックと2ボランチで3―2の形にすると、相手はサイドハーフも守備に加わらないといけなくなる。そうなると、日本のウイングバック、ボランチのところが空いてくる。守備でも相手のロングボールを5枚でしっかり守れる」。後半の流れの悪い状況では、途中出場した三笘でさえ力を発揮するのは難しかった。

 今大会の教訓を生かし、優勝を目標に掲げる26年W杯へさらにレベルアップできるか。林氏は「自分たちの戦い方がある中で、相手が変更してきて流れが悪くなったときに、プランB、プランCという修正ができたら、また違う展開になる。日本は個がレベルアップしたが、グループがないと、より個は輝かない。なぜ8強止まりだったのか。検証をしっかりして、次に向かっていってほしい」と今後への期待を口にした。

 ▽日本―イランVTR 両チームとも中2日で対戦。日本は前半28分に守田が上田とのパス交換から攻め上がり、右足で先制点を決めた。しかし後半10分、中央でのスルーパスから失点し同点。三笘らを投入して勝ち越しを狙うも、後半終了間際に自陣ゴール前で守備の連係ミスから板倉が相手を倒しPKを決められ1―2で逆転負け。2大会ぶりに8強で敗退となった。

 ◇林 陵平(はやし・りょうへい)1986年(昭61)9月8日生まれ、東京都八王子市出身の37歳。東京Vの下部組織出身で、明大を経て09年にトップ昇格。10年に柏へ移籍し、同年にJ2優勝、翌年にJ1制覇を経験。その後は山形、水戸、町田、群馬など主にJ2でプレーし、20年に現役引退。引退後は指導者と解説業をこなし、21~23年、東大ア式蹴球部(サッカー部)の監督を務めた。今年S級コーチ養成講習会を受講予定。1メートル86、80キロ。利き足は左。

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