バリューベースド・ヘルスケア 医療費のインフレが止まらない米国で今注目の概念「価値に基づく医療」

2024年10月14日 05:30

社会

バリューベースド・ヘルスケア 医療費のインフレが止まらない米国で今注目の概念「価値に基づく医療」
米国でのインフレ率を比較したグラフ。1位は医療費。20年で200%を超えています(https://www.visualcapitalist.com/inflation-chart-tracks-price-changes-us-goods-services/から)
 がん治療の最前線、米国で働く日本人医師が現場から最新の情報を届ける「USA発 日本人スーパードクター これが最新がん治療」。テキサス州ヒューストンにある米がん研究最大の拠点「MDアンダーソンがんセンター」で勤務する腫瘍外科医、生駒成彦医師のリポート第4回は、医療費が高額な米国で提唱されている「バリューベースド・ヘルスケア(価値に基づく医療)」についてです。
 【月平均477ドル保険料も高額】
 前回は“ダビンチ”ロボット手術のお話をしましたが、その中で医療の“バリュー”とは、というトピックに触れさせていただきました。今回は米国で注目されている“バリューベースド・ヘルスケア(価値に基づく医療)”というコンセプトについて、ご紹介したいと思います。

 医療の発展は日進月歩。特にがんの治療においてはロボット手術だけでなく、新規抗がん剤、免疫療法、ワクチン療法、分子標的療法、画像検査、リキッドバイオプシー(液体生検)など最善・最高のがん治療を患者さんに届けるための研究が世界各国で盛んに行われています。ただ、そういった新薬を安全に患者さんに届けるまでには平均で10~12年と、長い年月と労力がかかります。その結果、がん治療の新薬は大変高額で、例えばさまざまながんに対する効果が証明されている免疫療法「ペンブロリズマブ」と抗がん剤の併用療法は1カ月あたり1万4000ドル(約200万円)~1万7000ドル(約250万円)のコストがかかるという試算が報告されています。

 1970年代には49%だった米国でのがん全体の生存率は、現在では68%まで改善。一方で、医療費は急激に上昇しています。2023年のOECD(経済協力開発機構)の報告によると、米国ではGDPの実に16.6%が医療費に費やされています。日本のそれは11.5%。米国のGDPは日本の4倍以上と考えると、その経済規模には驚かされます。

 米国はインフレの国とご承知のことと思いますが、実は項目によってインフレ率は違い、その中で最もインフレ率が高いのが医療費です(=図)。実際の診療でも保険会社によっては当院への受診を認めてくれなかったり、手術は受けられるけどフォローアップは他の病院にお願いしなくてはならなかったり、自己負担が高い(場合によっては4000~5000ドルしてしまうことも)ので「今年は内視鏡検査はスキップさせてください」、なんて患者さんから言われることもあります。

 それに加えて、米国では“国が薬価に口を出してはいけない”という法律があり(2003年、ジョージ・ブッシュ政権により制定)、まさに医療費の高騰に歯止めが利かない状況になっています。国民皆保険のない米国では個別の医療保険に加入するのも高額で(2024年全国平均、1人当たり月477ドル)、通称“オバマケア”などで改善傾向にはあるものの、今も人口の約18%、2700万人以上が無保険の状態と報告されています。

 【医療のゴールは十人十色】 
 医療費高騰の大きな要因のひとつに、“fee―for―service”(出来高払い)の医療費システムが挙げられています。医学的に必要がなくても患者さんが病院に来れば、その度に診療費、治療効果がなかったとしても処方された薬の薬価が保険会社から病院に支払われます。時に必要のない手術も、収益のために選択されてしまうこともあるかもしれません。それは日本でも米国でも他の国でも同じです。

 それに対し、2004年にハーバード大学のマイケル・ポーター教授が提唱したコンセプト、“バリューベースド・ヘルスケア”が注目を集めています。ここで提唱されている医療の“バリュー”とは、“クオリティー(質)もしくはアウトカム(結果)の改善”を、それにかかった“コスト”で割り算した値だとされています。病院への医療費も、もたらされた医療の“量”ではなくて“質”に応じて調整されることで、健全な医療を推進しようという発想です。“コスパ”と似た考え方ではあるのですが、何を指標としてバリューの高い医療かというのは患者さん本位であるべきだ、というのが基本概念として提唱されています。

 というのも、例えばがん治療のアウトカムというのは、ひとつの数字で表せるものではありません。もちろん一番大切なのは“overall survival”(全生存期間)なのですが、生活の質(quality of life)の伴っていない、痛みや苦しみに満ちた人生を長く生きたいという人はあまりいないでしょう。早く仕事に復帰したい、痛みのない治療を受けたい、旅行に行きたい、孫の結婚式に出たい――。医療のゴールは患者さんによっても違うかもしれません。

 命や健康はお金には換算できませんし、少しでも良い最先端の治療を国民全員に届けたい一方で、社会の高齢化にも伴って逼迫(ひっぱく)した医療経済は各国で臨界点を迎えています。限られた医療資源でなるべくたくさんの患者さんに提供できる、バリューの高い医療とは何なのか。これからのがん医療の最大の課題かもしれません。

 次回は、がん患者さんのためのロボット手術のバリューとは、についてお話しさせていただきたいと思います。

 ◇生駒 成彦(いこま・なるひこ)2007年、慶応大学医学部卒。11年に渡米し、米国ヒューストンのテキサス大学医学部で外科研修。15年からMDアンダーソンがんセンターで腫瘍外科研修を履修。18年から同センターですい・胃がんの手術を専門に、ロボット腫瘍外科プログラムディレクターとして勤務。世界的第一人者として、手術だけでなく革新的な臨床研究でも名高い。

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