43年前の英雄を通してみるIOCの不自然な判断 なぜビレンはマラソンに出場できたのか?
2019年11月07日 08:00
五輪
さて、もしビレンが現在、最盛期を迎えている若手の男子選手だと仮定しよう。すると困ったことが起こっている。陸上長距離の3冠を狙おうにも、場所と日程がそれを許さないからだ。
東京五輪の当初の日程ならばこの果敢な挑戦は可能だった。7月31日に1万メートル、8月7日に5000メートルの各決勝、そして8月9日にマラソンに出場できたからだ。
ところが国際オリンピック委員会(IOC)は猛暑下での選手の保護を理由にマラソンと競歩の開催コースを東京から札幌に移せと言い始め、結局「合意なき決定」として通ってしまった。しかも開催時期を早めたり男女同時開催も検討中。こうなると“仮想ビレン選手”は手を、いや脚を出せない。東京から札幌への移動を科せられれば、マラソンだけに出場するライバルたちと体調管理と準備などで平等とは言えなくなり、しかも日程が前倒しになれば複数の種目にエントリーすることすら不可能になる。
2016年のリオデジャネイロ五輪の男子マラソンで3位となったのは米国のゲーレン・ラップ。彼はこの大会の1万メートルで5位に入賞し「中7日」でマラソンに出場したが、それは同じ都市で行われたからこそのダブル・エントリー。今回のIOCによるマラソンと競歩の“札幌移転”は、このような才能のあるアスリートからすると、「可能性」と「夢」と「物語」を奪ってしまう残酷な決定だ。
ビレンが世界の注目を集めたモントリオール五輪。フェンシングの男子では当時19歳だったイタリアのファビオ・ダルゾットがフルーレ個人で金、同団体で銀の2つのメダルを獲得している。そもそもどんな競技にも複数のメダルを狙えるような日程がどこかに見え隠れしているのだが、フルーレ団体でダルゾットのいたイタリアを決勝で下して優勝した西ドイツ代表のトーマス・バッハ選手はどう感じているのだろうか…。
あれから43年が経過。3種目に果敢に挑戦したビレンの姿をきっと見たであろう彼は現在、IOC会長という要職に就いている。そして五輪憲章には「フェアプレーの精神」という言葉が出てくるのだが、特定の競技、種目では挑戦が可能で、別の競技、種目ではそれが不可能になるという状況が今、存在している。どこまで考えて今回の決定に至ったのかはわからないが、他にも屋外で行われる競技があると言うのに、陸上の2種目のみに限って“自由”を奪うというのはやはり公正さを欠いているとしか言いようがない。
その一方で、五輪招致に立候補した段階で、当該都市の招致委員会は2014年のIOC総会で採択された「オリンピック・アジェンダ2020―20+20の提言」を遵守する義務がある。そしてその提言の中には「地理的要因や持続可能性の理由から、複数の競技または種目を開催都市以外で、または例外的な場合は開催国以外でも実施することを認める」というくだりがある。つまりIOCが指示した以上、東京も“ルール”を守る必要がある。
実際、馬術競技は検疫がハードルとなって1956年のメルボルン五輪がスウェーデンで、2008年の北京五輪は香港で実施された。バッハ会長は「前例はあった」とアピールしたが、それはその通りだ。ただし馬術と陸上は取り巻く環境が違う。そこに立ちはだかっているのは法律ではないし、同列で比べるべきものではないだろう。
マラソンと競歩の選手だけでなく、東京にも札幌にも今回の一件で戸惑い、悩み、怒りを覚えている方が多いはず。IOCからすると、2度目の冬季五輪招致(2030年)に動いている札幌を支配下に置くのは容易だと感じていたのか…。今回の強権発動にはそんな考えたくもない“闇”すらも感じてしまう。
ビレンは1980年のモスクワ五輪を最後に現役を引退。その後、国会議員となったが2011年に政界を退いた。フィンランドの選手なのに南米パラグアイの記念切手にその姿が記されたほどの偉大なランナー。モントリオール五輪の男子マラソンで記録した2時間13分11秒という彼にとって最も平凡なタイムが、どうやって「果敢な3冠挑戦者」と称えられる歴史になったのかを、もう少しじっくりと考えるべきではないだろうか…。
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。
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