セーリング男子470級 岡田奎樹&外薗潤平ペア “風を読む天才”と“遅咲きの苦労人”の原点

2020年02月11日 09:00

セーリング

セーリング男子470級 岡田奎樹&外薗潤平ペア “風を読む天才”と“遅咲きの苦労人”の原点
息の合った動きを見せる岡田奎樹(左)と外薗潤平(撮影・吉田 剛) Photo By スポニチ
 【2020 THE STORY 飛躍の秘密 】 神奈川・江の島で開催されるセーリング男子470級は、岡田奎樹(24=トヨタ自動車東日本)・外薗潤平(28=JR九州)組が初出場する。18年W杯江の島大会で日本男子初優勝した2人は、昨年9月の同大会で五輪切符を獲得。今年1月のW杯マイアミ大会でも銀メダルと今夏に向けて順調なスタートを切った。17年にペアを結成した“風を読む天才”の岡田と、“遅咲きの苦労人”外薗の原点に迫った。
 ◆5歳で初のヨット
 2人は九州の海に育てられた。岡田は5歳の時、元ヨット部の父・正和さん(52)に別府湾で活動するB&G別府海洋クラブに連れられ、ヨットと出合う。最初は海の上で泣くこともあり、正和さんは「今考えれば早すぎた」と笑うが、「小学1、2年生までは波が立っていたりすると嫌がっていたけど、それ以降は声を掛けなくても自分でやっていましたね」と振り返る。

 ◆小学2年で「世界」
 小学2年の10月からは転勤で出生地の福岡に引っ越し、B&G福岡ジュニアヨット海洋クラブで練習に励んだ。とにかくヨットが好きで、学校の工作では針金や折り紙で当時乗っていたOP級の船を作り、お風呂ではブイ(マーク)に見立てたアヒルと船のおもちゃを浮かべた。同時に、小学校低学年の時には「世界で優勝したい」と明言していた。

 岡田は当時から風を読む能力にたけていた。その原点の一つは育った海の環境による。南が太平洋に開けた海とは異なり、片側に山がそびえる別府湾は風が振れやすく、南方に陸地が位置する福岡も南風が変化しやすい。加えて九州は日が長く、練習時間も多く取ることができた。

 ◆記憶で無意識に?
 こんな逸話もある。福岡ジュニアの河内孝明会長(60)が「なぜあそこでタック(風上に向かって方向転換)したの?」と聞くと小学生の岡田は「カモメさんが教えてくれた」と答えたという。河内会長は「実際にカモメがいたわけでなく、身に染みついたものでそう判断したんだと思います」と回想するが、上手に風をつかんで飛ぶ記憶の中のカモメを無意識のまま、再現していたのかもしれない。正和さんや幼少期を知る指導者は「天才タイプではない」と言うが、積み上げた経験は常人にはない“感覚”を生んだ。

 クラブでは国際大会に出場する先輩とも船を並べて力を伸ばした。九州各県の指導者からも声を掛けられるようになり、「他の海と違うコーチに教えてもらうのも良いかなと、積極的に行きましたね。周りに恵まれた」と正和さん。小学6年生でジュニア日本代表に入ると、中学3年のOP級世界選手権では日本勢初のメダルを獲得。高校は五輪メダリストの故重由美子さん(享年53)が指導していた名門・唐津西(佐賀)の門を叩き、岡田は世界のトップへ駆け上っていった。

 ◆部員2人だけでも
 小学6年生の岡田少年が日本代表として世界に戦いの場を広げた1年ほど前。スポーツが盛んな鹿児島商に入学した外薗は、部活動紹介の映像を見て「これしかない」とヨットの世界に飛び込んだ。入部当初の部員は10人ほどいたが全員が初心者。専門の指導者はおらず、部室すらなかった。当時の顧問だった山下太陽教諭(38)は「バレーや野球が伝統ある学校なので“ヨットなんかやっているの”という感じで。肩身が狭かったですね」と苦笑いで振り返る。

 気付けば2年生は部活に来なくなり、3年生が引退すると、部員は同学年のチームメートと2人だけになった。平日はランニングや空いている教室で筋トレをし、土日は約20キロ離れた鹿児島市の平川ヨットハーバーから錦江湾に出た。相方が風邪をひいて1人の時も、練習を休むことはなかったという。

 平川では他クラブのコーチやOBから積極的に技術を教わった。動画分析や戦術研究は海に出ない時間を活用。「ムードメーカーで人当たりが良く、一生懸命で教えたくなる子」だった外薗は、OBが指導する九州他県の合宿にも招かれた。福岡や唐津の海でも学び、高校3年で同校5年ぶりの全国総体出場を果たした。

 ◆JR九州2年勤務
 卒業後は強豪の日本経大で技術を磨いたが、JR九州入社後からナショナルチーム入りするまでの2年間は、車掌業務などで十分な練習はできなかった。合間の軽い運動で体力を維持しつつ、海に出る頻度は月に1回。それでも外薗は当時を「ストレスはなかった」と言う。苦労を苦労と思わない「明るくて何でも続けられる性格」(山下教諭)が、高校からの原動力だった。

 九州のヨットハーバーですれ違っていた2人が再び出会うのは17年。江の島の全日本選手権でコーチに紹介されて同じ船に乗った時から、東京五輪への滑走が始まった。

《“江の島の利”埋まりつつ…強豪の性格まで研究》
 ○…練習で江の島を訪れる海外選手も増え、日本勢のホームアドバンテージは埋められつつある。その中で岡田と外薗が取り組んでいる課題は強風でのレースとスピード。昨年末のポルトガル遠征では期待通りの風は吹かなかったが「ネットワークを広げて強豪選手の性格や戦い方を学んでいかないといけない」(岡田)と個人の対策にも着手している。岡田は「金メダルは最低限だけど、東京の次も含めて自分が今回をどう経験できるか」と見据え、外薗も「競争が激しい470で負けていった人たちのためにも、メダルは絶対」と強い思いを持つ。

 ▽セーリング470級 風から生まれる揚力で海面を滑走してコースを周回し、着順を点数に置き換えて競う。470(ヨンナナマル)級は全長470センチの2人乗りヨットで、適正体重は合計130キロ前後。小柄な日本人に適しており、五輪で過去2度メダルを獲得している。岡田が務める「スキッパー」はメインセールとかじ取りが役割で、風や波の変化を読み取り最適なコースを判断。「クルー」の外薗はジブセールを操り、身を乗り出して船のバランスを取る。

《日本勢過去の五輪メダル》
 ▽96年アトランタ(女子) 重由美子、木下アリーシア組は10レースまで2位。最終11レースは1位のスペインを逆転するために、他の艇とは離れたコース選びが裏目となって7位に後退した。ここで「世界一のスキッパー」と呼ばれた重が、銀メダル狙いへ作戦変更し、最終的に7位を守り、総合2位で日本ヨット界に史上初のメダルをもたらした。

 ▽04年アテネ(男子) 関一人、轟賢二郎組は最終レース前までは4位。体力的に劣る日本勢が戦うには「追い風」となる8メートル以下の「微風」という好条件も後押しし、逆転の3位に食い込んだ。ゴール直後、他の艇から進路妨害などの抗議が出た影響で全順位確定までに2時間を要したが、着順通り確定。日本男子初のメダル獲得となった。

 ◆岡田 奎樹(おかだ・けいじゅ)1995年(平7)12月2日生まれ、福岡県北九州市出身の24歳。唐津西―早大。5歳からヨットを始める。中学3年時にOP級世界選手権で日本人初の銅メダル獲得。大学3年で470級ジュニア世界選手権優勝。家族は両親、弟。1メートル70、64キロ。血液型O。

 ◆外薗 潤平(ほかぞの・じゅんぺい)1991年(平3)3月20日生まれ、鹿児島県日置市出身の28歳。鹿児島商―日本経大。中学は陸上部。高校で競技を始める。11年ユニバーシアード470級銅メダル。大学4年の全日本インカレ470クラス優勝。家族は両親、兄。1メートル73、73キロ。血液型O。

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