追悼連載~「コービー激動の41年」その99 知られざるエピソードを語ったジョーダンの涙
2020年05月25日 08:30
バスケット
葬儀はビヨンセ、クリスティーナ・アギレラといった実力派の歌手が熱唱する中で始まり、元レイカーズのマジック・ジョンソン(60)らを含むNBAの元スター選手たちも参列。現役時代にブライアントとオールスターゲームでも対戦した元ブルズのマイケル・ジョーダン(57=現ホーネッツ・オーナー)は「私の一部が死んでしまった。大切な親友の1人。彼は私の弟のようだったし、知り合ったころから私は彼にとって最良の兄であろうとした」と大粒の涙を流しながら“弟”との思い出を語っていた。
このときのジョーダンのスピーチは話題になった。ブライアントがかけてきた夜中の電話や送ってきたメールに「やっかいだな」と思いながらもずっと付き合っていたことはほとんどの人が知らなかったし、なにより大粒の涙を流していたからである。
笑いと拍手が混ざり合う瞬間もあった。それは「また新たな“クライング・ミーム”を見なければならない。これから3~4年はもう見たくないから、妻(イベット夫人)には(スピーチを)やらないと言ったんだ。コービー・ブライアントにやられたよ」と語ったときだった。
ミーム(MEME)は本来、「情報伝達の単位」という意味だが、インターネットの中では「ネタ」ということになる。不機嫌そうな表情で人気があった「グランピー・キャット」はそのひとつ。写真にメッセージを書いて、思い思いにいろいろなシチュエーションで使い回すのがインターネット・ミーム。ジョーダンは2009年の殿堂入り式典のスピーチで感極まって泣いてしまい、その瞬間をとらえたAP通信のステファン・サボイア・カメラマンのワンショットが、その後、ミーム用の写真として世界を賑わせた。NBAニックスのファンはドラフト指名での人選を嘆くために“クライング・ジョーダン”を盛んに利用。バラック・オバマ大統領は2016年11月、そのジョーダンに自由勲章を授与するセレモニーの中で「彼はインターネット・ミーム以上の存在なのだ」と語って、そばにいたジョーダンを苦笑させている。
しかし殿堂入り式典の涙とは性質が異なっていた。葬儀に参列していたステフィン・カリー(ウォリアーズ)をも笑わせたジョークではあったが、誰もがそれは大きな悲しみを少しでも和らげようとしたジョーダンによる気遣いだったことを知っていた。
「コービーが亡くなって私の一部も死んでしまった。ここにいるみなさんもそうでしょう。もしかしたら一部ではなく全部かもしれない」と切り出した“弔辞”の最後も印象的だった。そして締めくくりはバスケの神と呼ばれた男の決意だった。
「君(ブライアント)に約束する。私は前向きに生きていく。なんとしても助けてやりたいという弟がいた、という記憶とともに…。だからどうぞ安らかに」
そしてもう1人、涙をこらえながら壇上に立った男がいた。ブライアントにとって忘れがたいチームメート。世界が彼の口から出てくる言葉を待っていた。(敬称略・続く)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。