「メード・イン・ジャパン」でカノアに続くサーファーを送り出せるか 日本に課せられた宿題

2022年09月28日 08:30

サーフィン

「メード・イン・ジャパン」でカノアに続くサーファーを送り出せるか 日本に課せられた宿題
リオ・ワイダ(和井田理央、2019年撮影) Photo By スポニチ
 米カリフォルニア州ハンティントンビーチで開催されていたサーフィンの世界選手権に相当するワールドゲームズ(WG)で、五十嵐カノアが日本人初優勝の快挙を成し遂げた。昨夏の東京大会で初採用された五輪では銀メダル、プロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)では今季自己最高の総合5位に入った五十嵐にとっても、初めての世界タイトルだった。地元で行われた地の利も生かし、1回戦から決勝まで全8ヒートで1位という完全優勝でも大きなインパクトを残した。
 五十嵐と並び個人的に印象に残ったのが、団体でも日本、米国に次ぐ3位に入ったインドネシア男子の目覚ましい躍進ぶりだった。五十嵐に敗れたものの銀メダルを獲得したリオ・ワイダ(和井田理央)や、敗者復活11回戦まで残ったクトゥ・アグスの活躍に、日本サーフィン連盟の宗像富次郎強化本部長も「アジアと言えば日本、という時代ではなくなった」と警戒感を示す。

 特にインドネシア人の父と日本人の母を持つ和井田は、折に触れて直接取材する機会もあっただけに、その成長ぶりに目を見張った。昨夏の東京五輪時はまだ見た目にもヒョロッとしていたが、今やジャージーの上からでも筋骨が浮かび上がるほどで、1メートル70とは思えないダイナミックなライディングに目を奪われた。本戦ではよもやの1回戦3位でいきなり敗者復活戦に回ったが、そこから12ヒートを勝ち抜き、決勝でも五十嵐を脅かす存在に。決勝進出者4人中、敗者復活1回戦から勝ち上がったのは、もちろん和井田ただ1人だった。

 なぜここまでの急成長を遂げたのか。昨年6月、和井田を取材した際の本人の弁だ。「コロナで大会がなくなってからは、レベルアップに集中した。高いエアを練習し、ウエートトレーニングを増やした。レベルアップできたのは、インドネシアにいたから」。5歳の時に移住したバリ島をはじめ、世界屈指のサーフポイントが各地に点在するインドネシア。まだ世界各地でロックダウンや行動制限があった時期には、米国のケリー・スレーターらトッププロが一早く制限が緩和されたインドネシアに集結。波にも人にも恵まれた環境で頭角を現し、来季のCT昇格を争う今季のチャレンジャーシリーズ(CS)でも、前半4戦中2戦を制し首位を走る。昇格はほぼ間違いないだろう。

 宗像氏によれば、「インドネシアと言えばバドミントンが強いが、サーフィンが五輪競技になったことで、強化に力を入れている。実際にお金がなくて(世界の)大会を回れていないが、凄い選手はたくさんいる」という。母の母国ではなく、父の母国を選択した和井田も、インドネシアという「環境」が自分の成長につながると確信したからこそ、インドネシア代表を選択し、今日に至っている。

 日本人の両親を持つ五十嵐もまた、ハンティントンビーチという環境で育ち、ジュニア時代までは米国チームの一員として活動していたサーファーだ。東京五輪を前に、五十嵐が米国代表入りを決断していたら、日本のサーフシーンは全く異なるものになっていたに違いない。大きな国際大会が開かれる海外のサーフポイントよりも、波のサイズで劣る日本。環境というハンディキャップを乗り越え、五十嵐に続く選手を発掘・育成する強化策の構築は、日本連盟に課せられた大きな宿題だ。

 「日本人」ではなく、「メード・イン・ジャパン」のトップサーファーを世界に送り出す。初のサーフィン五輪開催国となった日本の矜持と知恵に期待したい。(記者コラム・阿部 令)

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