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【パリ・パラリンピック】夏冬9度出場の土田和歌子"最後"は6位 「ブラボーの声援がワカコに聞こえた」

2024年09月08日 17:09

マラソン

【パリ・パラリンピック】夏冬9度出場の土田和歌子
土田和歌子 Photo By スポニチ
 【パリ・パラリンピック最終日 陸上 ( 2024年9月8日    ジョルジュバルボン公園―アンバリッド(廃兵院)の42.195キロ )】 マラソンが8日に行われ、車いす(T54)女子でパラリンピック夏冬通算9度目の出場となった土田和歌子(49=ウィルレイズ)は1時間52分39秒の6位で"ラストレース"を終えた。2度目の出場の喜納翼(34=琉球スポーツサポート)は2時間4分53秒で12位だった。世界記録保持者カトリーヌ・デブルナー(29=スイス)が1時間41分50秒で金メダルを獲得し、トラックの400、800、1500、5000メートルと合わせて今大会5冠となった。
 デブルナーがスタートから独走したレースで、土田は5キロ地点を8番手で通過。10キロ地点で7番手に浮上したが、2位を争っていた上位集団には加われず、差を広げられた。しかし、40キロまでに1人を抜いて6位でフィニッシュ。最後は右手を高く上げ、声援に笑顔で応えた。

 土田はトライアスロンと車いすマラソンに出場した21年東京大会後、パリ大会での引退を表明。マネジメント会社を通じ「アスリートとしての集大成を描くことを決意した。理想とするアスリート人生を終えられるように取り組む」とコメントを発表した。当初は東京で第一線を退くつもりだったが、マラソンで4位の結果に「ここで終わりたくない」と現役を続行。「心の準備ができる。覚悟を持って臨める」と事前に"ゴール地点"を決めたという。

 94年リレハンメル冬季大会のアイススレッジスピードレースでパラリンピックに初出場。98年長野大会では1000メートルと1500メートルの2冠に輝いたが、競技人口が少ないアイススレッジスピードレースがパラ実施競技から外れると、陸上に転向した。00年シドニー大会はマラソンで銅、04年アテネ大会ではマラソンで銀、5000メートルで金メダルを獲得。日本人初の夏冬パラリンピック金メダリストとなった。

 08年北京大会では5000メートルで転倒に巻き込まれて重傷を負い、マラソンを棄権と悔しい思いも味わった。マラソンのレース中にぜんそくを発症したことで治療の一環として水泳を始め、トライアスロンでもパラリンピック選手となった。高2のときの自動車事故で脊髄を損傷し、リハビリのためにパラスポーツを始めてから30年あまり。日本パラスポーツの歴史そのものと言えるレジェンドに、区切りのときが訪れた。

 ▼土田 走り切れたことに感謝した時間でした。メダルを目指してここまで来たので食い込めなかった悔しさはあるんですけど、メダルを狙ったプロセスには凄く満足していて、ワクワク、ドキドキできたので満足しています。路面は石畳が多くテクニカルで難しさはあったけど、沿道の声援が有観客ということで凄く多く、後押ししていただいた。「ブラボー!」という言葉が「ワカコ!」と聞こえて、応援してくれているのかなと思えた。最高の舞台に立たせていただいて、ゴールすることができて、世界最高峰の舞台に立てたことを誇りに思います。

 ▼喜納 たくさんの人に凄い応援していただいてこの場に立てたので、最後まで全力で楽しみきることができたと思います。正直、街並みを楽しむ余裕はなかったんですけど、花の都、憧れの都市だったので、街中をレーサーで駆け抜けることができたのは凄く良い経験になりました。

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