闘志伝わる丘の上――大投手も緊張した開幕投手

2018年03月30日 10:30

野球

闘志伝わる丘の上――大投手も緊張した開幕投手
<ロ・近12>完投で10勝目を挙げた近鉄・鈴木啓示投手(1979年10月5日) Photo By スポニチ
 【内田雅也の広角追球】野球を愛した俳人、正岡子規は1889(明治22)年夏、松山に帰省して静養中、伊予尋常中学(現松山東高)の学生だった河東碧梧桐にベースボール――当時まだ「野球」の訳語はなかった――の指導をしている。これをきっかけに子規から俳句を学ぶことになる。同級生だった高浜虚子も碧梧桐を介して、子規に師事した。
 虚子の『子規居士と余』では冒頭で、松山練兵場で「バッチング」をやっていると、東京帰りの書生数人がやって来るシーンが描かれている。一人の書生が「おい、ちょっとお借しの」と言ってバットを借り、「本場仕込みのバッチング」を披露する。「このバッターが正岡子規その人であった事が後になって判(わか)った」とある。

 虚子と碧梧桐は親友となり、ともに三高(現京都大総合人間学部)に進み、寝食をともにした下宿を「虚桐庵」と名づけるほど仲が良かった。

 だが、子規が1902(明治35)年に没した後、碧梧桐は五七五や季題にとらわれない新傾向俳句に唱えたことに対し、虚子は伝統俳句を重んじる守旧派として激しく対立した。当時の心境を詠んだ有名な句がある。

 春風や 闘志いだきて 丘に立つ

 ライバルに負けまいとする決意表明である。激しい闘志がうかがえる。

 この句を前にすると、いつもプロ野球の開幕投手を思う。春風吹くころに、闘志を胸に秘めて丘(マウンド)に上る。まさに開幕投手の心情ではないだろうか。

 今年もプロ野球が開幕する。丘に向かう開幕投手の胸の内を思いやる。

 通算317勝の左腕・鈴木啓示(近鉄=本紙評論家)は金田正一(国鉄、巨人)とともにプロ野球最多14度の開幕投手を務めた。開幕戦9勝も最多記録だ。

 「開幕投手もそれほどやれば慣れるでしょう」とよく問われた。

 「いや、慣れることなど一切なかった」と首を振る。「経験する度にしんどくなった。チームのことを考え、1年のいいスタートを切りたい。勝ち負けでずいぶん違ってくると責任感が増していった」。緊張と重圧から逃れられなかった。

 同じ不安は江夏豊(阪神、南海、広島、日本ハム、西武)にもあった。開幕投手やシーズン初登板の試合前、金のネックレスをガリガリ……ガリガリッとかんでいた。マッサージを施していた阪神時代のトレーナー、猿木忠男から「江夏ほどの大投手でも、これほどまでに緊張するものかと驚いた」と聞いた。

 同じ開幕戦と言っても打者(野手)の方はどこか興奮に包まれている。

 ヤンキースの大スターだったジョー・ディマジオは「子どものころ、誕生日パーティーを待つような心境だった」と語っている。「何が起きるのか、わくわくしていた」というわけだ。大リーグ通算最多安打のピート・ローズはその興奮を「少し暖かいことを除けば、クリスマスみたいだった」と語っている。

 投手はやはり特別な緊張状態にあるようだ。歌人、俵万智が高校野球を詠んだ歌にある。

 もう誰も 助けてくれぬマウンドに 背番号1 風はらませて

 丘の上に立つ投手の孤独と緊張が伝わってくる。

 今年もそんな緊張と興奮の一日を迎える。開幕の3月30日、取材に出向く東京ドームは「伝統の一戦」。開幕投手を務めるのは2年ぶり4度目の巨人・菅野智之、4年連続5度目の阪神・ランディ・メッセンジャーだ。屋根付きのドーム球場で、春風を感じられないのは残念だが、緊張や興奮は十分に味わうことができる。

 碧梧桐へのライバル心、闘志を抱いて丘に立った虚子だが、二人の友情は終生変わることがなかった。碧梧桐の死に際して、次の句を詠んでいる。

 たとふれば 独楽(こま)のはぢける 如くなり

 僚友との関係を、こま同士がぶつかり合う様子にたとえている。

 さあ、今年もまた始まる。相手をたたえ、認めつつ、火花を散らすような戦いを楽しみにしている。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 開幕を前に有給休暇をもらい、家族で天橋立に旅行に出向いた。海抜130メートルの丘の上から日本三景の絶景を楽しんだ。車を走らせると、近くに「糸井嘉男地元応援団」と張り紙のある民家があった。糸井(阪神)の出身地だった。1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は12年目を迎えている。

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