阪神・原口 国内FA権取得で語った胸中「やっぱりまた…」 苦節乗り越え15年目、32歳の決意

2024年04月30日 05:15

野球

阪神・原口 国内FA権取得で語った胸中「やっぱりまた…」 苦節乗り越え15年目、32歳の決意
笑顔でノックを受ける阪神・原口(撮影・大森 寛明) Photo By スポニチ
 阪神・原口文仁内野手(32)が29日、出場選手登録日数が8年に達し、国内フリーエージェント(FA)権の取得条件を満たした。降雨中止になったマツダスタジアムでプロ野球選手として節目の日を迎え、育成枠からの復帰や大腸がんを乗り越えた思いを本紙に激白した。思い描いたのは20年10月を最後に遠ざかる本拠地・甲子園球場での本塁打。お立ち台から「感謝」を伝える決意を明かした。
 原口は実感を込めた。「今まで支えてくれたすべての方のおかげです。でも…」。医師、トレーナー、監督コーチ、チームメート、家族へ向けた思い。続けた言葉に人柄がにじんだ。「権利を取ったから、今日が特別に…ではなくて、日頃から、いつも感謝しています」。12年の腰痛発症でオフに育成契約に切り替わり、14年は右肩故障。19年1月には大腸がんが見つかり手術を受けた。何度もどん底に突き落とされ、同じ数だけの感謝があった。

 特に育成選手で過ごした約3年間、当時2軍監督だった掛布雅之氏の教えは今も心に宿る。「みんなに“一人でやる野球を大事にしろ。一人に強くなれ”とずっとおっしゃっていたのを聞いていて、今も大事にしています」。1軍監督だった金本知憲氏に才能を見いだされ、7年目の16年に待望の初出場。「金本さんと掛布さんに表舞台に出させてもらい、今があります。矢野監督、岡田監督にも感謝しかありません」。原点は2軍拠点がある鳴尾浜。1軍を目指してもがいていた時も、大病からの復活を誓った時も、不屈の闘志が身についた。

 「ファームで過ごした時間が長かった。その時にみなさんの教えや言葉をいただいて、自分なりにやってきたつもり。まだまだ足りない。今もあの時のようにもっともっとやらないといけない」

 今年1月に大腸がんの完治を報告。5年間の闘病生活を終えた。もう投薬も、病院治療もしていない。「健康体になりました」。気付けば15年目の32歳。野手では梅野とともに猛虎最年長で引っ張る立場になった。

 「試合にも出ていないのに、誰にも頼られてなんかないですよ。(通算で)1500安打くらい打っていたら、もっと胸を張りますけど…。チームのみんなと大きな目標に一緒に向かっていきたい。勝利に貢献する1本を打ちたい。あと、やっぱり甲子園でまたホームランを打ちたい。お立ち台で元気な姿をファンのみなさんに見てほしい」

 甲子園での本塁打は20年10月22日の広島戦を最後に遠ざかる。すべての困難に打ち勝ってこれたのは、もう一度、あの快感にひたるため、4万人を超える歓声にシビれるためだ。 (畑野 理之)

 ◇原口 文仁(はらぐち・ふみひと)1992年(平4)3月3日生まれ、埼玉県出身の32歳。帝京から09年ドラフト6位で阪神入団。腰痛の影響などで13年から育成契約となり、16年4月に支配下復帰。同年5月は打率.380で月間MVP。18年は代打でシーズン23安打を放ち、08年桧山進次郎の球団記録に並んだ。19年1月に大腸がんを公表。治療しながらプレーを続け、今年1月に完治を報告。1メートル82、95キロ。右投げ右打ち。

 〇…原口は大腸がんを公表後、広島・赤松外野守備走塁コーチ=写真=との交流が始まり、会うたびに「元気にしてるか」など励ましてもらったことを感謝した。赤松コーチは阪神でプロ入りし、広島在籍の16年オフに胃がんを公表。37歳だった19年限りで引退した。「鳴尾浜で会った時に声をかけたのは覚えている。病名は違うけど、同じ大病から復帰した同士。(復帰後)僕は活躍できなかったけど、原口は1軍で活躍している。僕にはないメンタルがある」と敵味方の枠を超えて敬意を寄せた。

 〇…4月の阪神では坂本が14日、大山が20日、糸原が27日に国内FA権の取得条件を満たし、今回の原口で今年4人目を数えた。順調なら青柳も今季中に必要な登録日数を満たす見通しだ。

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