「魔改造」元ソフトBコーチ・倉野信次さんが自費米留学で見た世界 “涙した”忘れられない苦労話も
2022年12月02日 10:00
野球
米国での驚きは、想像以上に科学的アプローチが進んでいた点だ。「日本の10年先をいっている」と感じたほど、最新機器を使ったフォームや球質の分析を指導に役立てていた。
大リーグでは、コーチがプロ経験者とは限らない。最終経歴がアマチュアの人も珍しくない。フロント、トレーナー、分析班、メンタルトレーナーが、コーチと一緒になり、コンピューターの客観的な指標を参考にしながら「選手一人のために、全員で考えを出し合って良くしようという考えが根底にある」のが米国式。コーチ陣がプロ野球経験者で構成され、野球界で培った知識と経験則で指導しがちな日本球界とは対照的だった。
素晴らしいと思う半面、違和感も覚えた。人間の主観よりも、時に、データが重視される傾向があった。
「回転数も何もかも平均的な数値の投手が、優れた成績を挙げることがある。タイミングを外すのがうまかったり、ボールの出どころが見づらかったり、機械ではそれらを評価できない。ピッチングは、計測機器のデータで高評価を得るための“いい球投げ競争じゃない”。打たれないことが大事なんだから」
科学的アプローチには落とし穴があると、コーチミーティングで訴えた。賛同を得た。米国に来たことで、アナログ的な人間の感覚も指導に不可欠だと再認識すると同時に、倉野流の新しいピッチング理論も構築できた。腕や体の使い方など、日米で異なる技術論やフォームについて「何が良くて何が悪いのか、答えを導き出せた」。けん制球やフィールディングのレベル、体をうまく連動させたフォーム、練習量は日本が誇るべき点。デジタルとアナログ、米国式と日本式の融合こそ最適解だと感じた。
現地では日本野球の質問を何度も受けた。
「よく聞かれたのはスプリットやフォークの投げ方。正式なコーチではないため、雑談程度にとどめたけど」
向こうはチェンジアップ主体。フォーク系は肘に負担がかかるという考えが浸透し、少数派の球種だという。大谷、ダルビッシュら日本投手が活躍するのは、当地でなじみが薄い球種を武器にするからかもしれない。来季、大リーグに挑む教え子の千賀の“オバケフォーク”も、「アドバンテージになるのでは」と活躍の予感を口にした。
ソフトバンクでは、千賀を筆頭に、150キロ台の速球投手を次々と育てた。その手腕は「魔改造」と称えられた。コーチとして確固たる地位を築いたにもかかわらず、職を捨てて、家族も置いて、勉強のために自費で渡米した。SNSの進化で、誰でも海外の最新知識を容易に手に入れられる時代。現状維持のコーチングでは、頭打ちになると感じた。
「選手は米国に興味を持っているのに、米国を知らないではこの先教えられない。コーチとして取り残される危機感があった」
しかし、50歳目前で飛び込んだ世界は、甘くなかった。通訳はいない。英語を話せないことが、仕事場で重くのしかかった。
「ある日、ベースボールを取ってくれって言われて、野球を取ってくれってどういうこと?ってなったけど、後々、向こうではボールそのものを指す単語だと知って…」
翻訳機能では野球用語を訳しきれず、何度も心が折れた。一日の練習予定さえ把握できない。日本で築き上げてきた実績を知る人もいない。居場所がなかった。
荷物運び、キャッチボールの相手、雑用は何でもやった。人見知りの殻を破り、英語で積極的に話しかけた。コーチ陣には日米の違いについてプレゼンをした。徐々に信頼をつかんだ。
夏前、制球に苦しむ20代半ばの選手に助言を求められた。コーチの許可を得て、スライダーの握りを教えた。1カ月もたたないうちに劇的に変化した。スライダーの精度アップが呼び水となって、直球もコントロールが良くなった。「あなたのおかげです」。握手を求められ涙がこぼれそうになった。日本でやってきたことは間違いじゃない。米国に来たことも間違いじゃない。この日を境に、歯車がかみ合い始めた。
来年も米国で研修を積む予定だ。報酬のない、自腹のコーチ修業を覚悟する。当初から「1年目で広く浅く、2年目で深く」と構想を描いていた。その先は「学んだことを日本で生かしたい」とプロ野球に戻る青写真を描く。一人でも多く「魔改造」に導くために、学びを止めることはない。 (倉世古 洋平)
《ドミニカでも発見の連続》
米コーチ研修中に足を延ばしてドミニカ共和国を2度訪れた。レンジャーズが持つ同地の野球アカデミーでもコーチングを学んだ。選手の年齢は日本の高校年代で、活躍すればMLBのマイナーリーグから声がかかる。芽が出なければクビになる厳しい環境だ。ここでも発見があった。「ほとんどの選手が専門的な指導を受けていない。その状態で150キロを出す子もいる。だから、教えに飢えていて、いろいろと聞きに来てくれて、教えたことはスポンジのように吸収していた。無限の可能性を感じた」。グラウンド外では、大失敗もあった。うっかり氷を口にしたことが原因で激しい下痢に襲われた。1週間寝込んだことは、今だから笑えるエピソードだ。
◇倉野 信次(くらの・しんじ)1974年(昭49)9月15日生まれ、三重県伊勢市出身の48歳。宇治山田で3年夏に三重大会準優勝。青学大では4度のリーグ優勝と2度の日本一を経験。大学日本代表にも選ばれた。96年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。11年間で通算164試合に登板し19勝9敗1セーブ。フロントを経て09年からコーチ。1~3軍の投手統括コーチ、1軍投手コーチなどを歴任し、17~20年のソフトバンク4年連続日本一に貢献。著書に「魔改造はなぜ成功するのか」。1メートル77、右投げ右打ち。
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