星稜が初戦突破 能登半島地震で被災した石川に白星を届けた

2024年03月19日 05:00

野球

星稜が初戦突破 能登半島地震で被災した石川に白星を届けた
<田辺・星稜>初戦を突破し、応援団の元へ笑顔で駆け出す星稜ナイン(撮影・北條 貴史) Photo By スポニチ
 【第96回選抜高校野球大会第1日1回戦   星稜4―2田辺 ( 2024年3月18日    甲子園 )】 節目の選抜100周年大会が幕を開け、開幕日は1回戦3試合が行われた。昨秋の明治神宮大会王者の星稜(石川)は、同点の9回に背番号20の代打・東汰生(ひがし・たいせい=3年)が決勝2点打を放ち、初戦突破。21世紀枠の田辺(和歌山)を下し、元日に発生した能登半島地震で被災した石川に白星を届けた。
 元日の能登半島地震で被災した星稜ナインは、大会本番前に選手間ミーティングで話し合った。「被災地のことは自分たちがどうにかできるような問題ではない。だから一戦一戦必死に戦う姿を見てもらおう」。高校野球が石川のためにできることは限られている――が被災した高校生の本音。だから21世紀枠の選出校に苦戦を強いられても、我慢強く戦うことだけに集中できた。そして。ベンチ最前列で「野球を楽しもうぜ」と声を張り、のどを枯らしていた背番号20の東に勝負どころで出番がやってきた。

 同点の9回1死一、二塁。この日3人目の代打として公式戦に初めて出場した。相手投手の暴投で二、三塁と好機が広がり、迎えたカウント2―2からの5球目。内角直球に詰まらされるも「落ちてくれと思いながら走っていました」。打球は願い通りに右前で弾んだ。公式戦初打席初安打が決勝2点打。甲子園大会ベンチ入りが20人に拡大されて今春で2季目。選抜100周年の幕が開けた日に、甲子園で初めて背番号20が決勝打を放った。

 「甲子園の打席に立てている状況を楽しみ、自信を持って積極的に振りにいきました」

 石川県津幡町出身。元日はトレーニング施設での練習中に大きな揺れを感じた。震度5弱の同町内には津波警報が発令され、家族と自宅近くの小学校に避難。同日午後9時に自宅に戻れはしたが、断水の影響で3日間は入浴できなかった。

 元日も休日返上で練習していた理由がある。高校でベンチ入り経験がなく、昨秋の明治神宮大会優勝も観客席から見届けた。「あの悔しさがあるから、冬の練習も力が入った」。同校は震災の影響で2月中旬までグラウンドを使用できず、屋内での練習が続いた。その状況でも「好きな野球ができているから苦ではなかった」と不満はなかった。そして一日1000スイングの努力が認められて、今春選抜で初のベンチ入り。背番号20として甲子園史に名を残した。

 「(石川のために)何かをするとかは言えない。だけど一戦一戦頑張る姿を多くの方に届けられたらいいなと思います」。耐えて、耐えてつかんだ白星を、今もなお我慢の生活が続く石川に届けた。 (河合 洋介)

 《3投手が踏ん張った》拮抗(きっこう)した展開に星稜投手陣が踏ん張った。1年夏、2年夏に続く聖地マウンドとなるエース左腕の佐宗翼は、6回を3安打2失点。「抑えないとっていう気持ちが強くなって力んでしまった」。ともに1点リードの3、4回に同点とされたが、勝ち越しは許さなかった。2番手で2回無失点の戸田慶星は「次もゼロで抑えて、僕にできることをやっていきたい」と気合。2点優勢の9回に登板した道本想は「やってやろうという気持ちだった」と振り返り、1死二、三塁を無失点に抑えてホッとした表情だった。

 《山下監督は三度目の正直》星稜の山下智将監督は、自身3度目の甲子園で待望の初勝利を挙げた。「甲子園で勝つのは非常に難しい。1点を取るのが難しく、選手が最後まで粘り強く頑張ってくれました」。21世紀枠の選出校相手に苦戦を強いられたが、代打3人、救援2人を起用するタクトで流れを変えた。代行監督として甲子園に初出場した22年夏から夏の甲子園は2年連続出場も、初戦敗退。現地で見守った父の智茂名誉監督は「震災でグラウンドがひび割れ、整備をしながら指導していた。ホッとしているのではないでしょうか」と目を細めた。

 《23年夏からメンバー枠20人に拡大》星稜の背番号20・東汰生が田辺との1回戦で決勝打。2023年夏の甲子園大会からベンチ入りメンバー枠が従来の18人から20人に拡大されて以降、背番号20の選手が決勝打を放ったのは、甲子園大会史上初となった。

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