大泉洋 24年前に作曲してくれた大物ミュージシャンに毒づく「もっとちゃんとした曲を作ってくれたら…」
2024年11月07日 22:58
芸能
その大物ミュージシャンとはシンガー・ソングライターの奥田民生(59)。今年ソロ活動30周年で、来年には還暦を迎える奥田は1994年にシングル「愛のために」でソロデビューすると、いきなりのミリオンセラー。96年にはPUFFYをプロデュースし大ヒットさせるなど、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
そんな人気絶頂の中にいた奥田に対し、大泉が作った歌詞に曲をつけてもらえないかとオファー。自身が率いる「大泉バンド」のデビュー曲として作られた「負け戦」の初披露ライブは北海道全域に生中継された。
奥田は当時を振り返り「これこそプロデューサー俺じゃなくていいやつ」とひと言。番組からプロデュース企画が持ち込まれた際には「“どんなんでもいいです”“超雑に”という指令でした。じゃないとあんな雑な曲作らないでしょ」と明かし笑わせた。
しかし大泉は「今聴いてもいいメロディーですよ。私の歌詞もいいんですよ」と“反論”。当時は「あの今をときめく民生さんがプロデュースしてくれるってなって、ちょっと売れるのかもしれない」と淡い期待を抱いていたことを告白した。
奥田が「(それが)今や紅白とか出ちゃってるんだから」と感心すると、大泉は「全然民生さんのおかげじゃないですからね。あの時、民生さんがもっとちゃんとした曲を作ってくれてたら、僕のデビューはもっと早かったかもしれない」と毒づき、2人で笑い合った。