竹田・招致委理事長「人生懸けた」親子の夢実現
2013年09月09日 06:00
五輪
夢舞台に魅せられ、そして夢舞台に翻ろうされた。馬術に夢中だった高校時代に行われた、64年東京五輪の記憶は今も鮮明だ。後日、父が欧州の王室関係者を中心にロビー活動で駆け回り、五輪招致に尽力した事実を知った。初出場した72年ミュンヘン五輪では、パレスチナ・ゲリラによる選手村襲撃事件に遭遇。引退を決意するきっかけとなったのは東西冷戦下の80年モスクワ五輪だった。日本のボイコットで出場の夢を絶たれた無念さを忘れられない。
会長を務める日本オリンピック委員会(JOC)の05年の年頭あいさつで「日本に五輪を!」と呼び掛けたが4年前の16年五輪招致は失敗。確執があった当時の石原慎太郎・東京都知事から「JOCがだらしない」と国際人脈の弱さを批判されたこともある。11年3月11日には東日本大震災が発生。「五輪どころではない」。周囲の声に夜も眠れないほど心が揺れたが20年五輪招致の夢は捨てなかった。
8月11日、母・光子さんの訃報を出張先のモスクワで聞いた。決戦の地、ブエノスアイレスへ旅立つ前、両親の墓に参り「五輪を必ず勝ち取ってきます」と誓っていた。7年後の夢舞台を成功に導くために、これからも全力を尽くす。