町田 初J1!黒田マジックだ 青森山田で7度全国Vの名将、就任1年目で悲願達成

2023年10月23日 04:50

サッカー

町田 初J1!黒田マジックだ 青森山田で7度全国Vの名将、就任1年目で悲願達成
<熊本・町田>サポーターとJ1昇格を喜ぶ町田イレブン(撮影・岡田 丈靖) Photo By スポニチ
 【明治安田生命J2第39節   町田3―0熊本 ( 2023年10月22日    えがおS )】 明治安田生命J2リーグは9試合が行われ、首位の町田が熊本に3―0で勝ち2位以上を確定させ、初のJ1昇格を決めた。青森山田高を7度の全国優勝に導いた黒田剛監督(53)が就任し、堅守を看板にシーズン序盤から首位を独走。28年間の指導で培った指導力を生かして一度も連敗を喫することなく、就任1年目で町田の歴史を塗り替えた。
 高校サッカーで頂点を極めた名将が、プロの世界で大願を成就させた。黒田監督は、歓喜に沸く選手たちを教え子に接するような笑顔で迎えた。「町田の歴史を塗り替えられたことをうれしく思う。プロ1年目の監督の言葉を全員が誠実に受け止め、不満を言わずついてきてくれた」。万感の思いだった。

 J1昇格へ、ゴールラッシュを呼び込んだのは自慢のホットラインだ。前半終了間際、MF宇野が目の覚めるようなミドル弾を決めた。「監督に高校からお世話になってJ2優勝とJ1昇格を掲げて1年間やってきて良かった」と笑った。殊勲の宇野も、相手クリアを拾い、宇野へワンタッチパスを送ったDF藤原も青森山田の教え子だ。

 15位に終わった昨季オフ、クラブはプロ未経験の黒田監督招へいに動いた。当初は高校生と比べ、選手の反応の薄さに戸惑いも見せた指揮官だが、プロでは先輩にあたる選手のプライドを尊重しつつ、忘れがちな基礎を反復させた。無駄な失点を嫌い、ただ一人が基本を怠ることで起きる最悪のケースを想定し「悲劇感を想像しろ」と訴え続けた。選手と勝利のダンスを踊るなど柔軟な一面も見せ、距離を縮めた。

 今季は「1ターム7試合で勝ち点15」という中間目標を掲げ、第4タームまで着々とクリアした。89年に少年クラブのトップチームとして創設。J2初挑戦の12年は最下位、JリーグからJFLに降格した唯一のクラブとなった。18年はJ2で4位もライセンス未取得でプレーオフ不参加という無念も経験。黒田監督を招へいする大胆な発想と地道な努力の先に歓喜は待っていた。

 藤田社長は、黒田監督の来季続投を「当然です」と明言。既に来季を見据えたチーム構想に着手している。次節29日の金沢戦がホーム最終戦。J2優勝を飾り、J1昇格に花を添える。(矢吹 大祐)

 ≪町田・藤田社長兼CEO「過去一番くらい興奮」≫スタジアムで昇格の瞬間を見守った町田の藤田晋社長兼CEO(50)は「この景色を見るために頑張ってきた。過去一番くらい興奮した」と感激を口にした。社長を務めるIT大手サイバーエージェントが18年10月、町田への経営参画を発表。昨春完成のクラブハウスと専用練習場というJ1クラブ顔負けの環境を整え、昨オフにはクラブ社長に就任し決断のスピード感を高めた。19年には世界市場をにらみクラブ名を「FC町田トウキョウ」に改称すると発表も、猛反発を受けて撤回する一幕もあった。

 ▽FC町田ゼルビア 1989年、東京都町田市の少年サッカークラブ「FC町田」のトップチームとして創設。名称は市の木ケヤキの英語名ゼルコバ、市の花サルビアを合わせた造語。91年東京都4部からスタートし06年関東2部、07年関東1部、09年JFL昇格。12年にJリーグ入会もJ2最下位でJFL降格。14年J3で再入会し16年J2復帰。18年サイバーエージェント傘下入り。チームカラーは青。本拠地町田GIONスタジアムは収容1万5320人。

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