1人の日本人選手が米国で残した足跡 涙したホーム最終戦
2018年03月03日 10:00
バスケット
2月28日、ジョージ・ワシントン大は地元ワシントンDCのスミス・センターで今季のホーム最終戦(対フォーダム大)を行った。4年生にとっては大学生活最後のホームゲーム。いわばスポーツ選手の“卒業式”だった。
試合はジョージ・ワシントン大が72―56で勝利。渡辺は後半の残り2分59秒、フリースローの1本目を決めていたときに目が潤んでいた。2本目も決めて大学生活で自己最多と31得点をマーク。しかしそんな記録よりも大事なものが彼の心を埋め尽くしていたのだろう。
大学の学生新聞「GWハッチャー」を読んだ。そこに書かれていた渡辺のコメントは「きのうの夜は日本にいた5年前のことを思い出していました。米国でバスケットボールをやりたいという夢を抱きながらも、英語を話せなかったし、知り合いもいなかった」。香川の尽誠学園高校出身。その才能を開花させるために渡米したが、多くの留学生同様、彼の前には言葉の壁、文化の壁が立ちはだかったようだ。
それから4年。NBAのスカウトたちも無視できない具体的な記録の数々は割愛させていただくが、彼は毎年成績を向上させ、最上級生となった今季はチームの大黒柱として申し分のない活躍を見せた。
フォーダム戦の残り1分3秒。14点差がついて勝利がほぼ確定したとき、カナダ出身のモーリス・ジョセフ監督(32)は敬意を表して渡辺をベンチに下げた。
するとどうだろう。スタンドからは「YUTA、YUTA」というユニゾン・コールが沸き起こった。ゼロから、いやマイナスのレベルからスタートした異国の地での大学生活。多くのハードルを乗り越えてきたときに待っていたのは、本人が涙せずにはいられない愛にあふれた声、声、声だった。
大リーグでは野茂やイチローが多くのファンに支持されて称賛された。しかし渡辺の場合、トップレベルのスポーツ選手という立場でありながら、言葉を学び、授業に出てから体を鍛え、さらにチームのリーダーとなって最後にスタンディング・オベーションを受けたという点でそのバック・グラウンドが少し違っている。腰と手首を痛めながらも今季の平均出場時間は36・8分。40分の試合時間の中でほとんど休まなかった渡辺の姿は、もしかしたら米国の人たちの目には“真のサムライ”のように映ったのかもしれない。
渡辺を抱きしめたジョセフ監督の試合後の談話は印象的だった。
「彼は選手として、そして人間として成長した。その成熟していくプロセスは信じがたいものだった。多くのことで苦しんだはずだが、私は彼がぼやく姿を見たことがない。利己的な一面はみじんもなかった。信じがたい選手だ。だからスタンディング・オベーションに値する。いやもっと価値がある人間だと思う」。
ジョージ・ワシントン大が所属するアトランティック10のカンファレンス・トーナメントは11日に開幕。優勝すれば全米大学選手権(NCAAトーナメント)への出場権が獲得できるが、今季の勝率が5割を切っているジョージ・ワシントン大が大舞台への切符を獲得する可能性は少ないだろう。もちろん精一杯の努力をして戦ってほしいと思う。しかし出場できないからと言って下を向く必要はない。
「ここまでやった自分自身を誇りに思います」。日本各地も卒業式のシーズン。渡辺が口にしたこの一言を、胸を張って言える最上級生が1人でも多くいることを祈っている。
米国の首都ワシントンDCで起こった「記述すべき事象」。私は義務を果たせただろうか?数字や金額で表せない偉業を伝えるのは本当に難しい。されど誰かがこの出来事をまたどこかで伝えてほしい。
「WHERE THERE IS A WILL、THERE IS A WAY(意思あるところに道は開ける)」。1863年11月19日、米国の第16代大統領、エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグで行った演説の中での一説は、どんな人間にとっても大切だ。
2メートル6、89キロ。体重はもう少し欲しいところだが、ジョージ・ワシントン大の背番号12は日本のスポーツ界に“見えないレール”を敷いて学生生活に別れを告げる。その強い意志は、また新たな道を切り開いていくことだろう。(専門委員)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市小倉北区出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に7年連続で出場。
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