×

父子で柔道五輪金へ 亡くなる直前に斉藤仁さんに約束「立派な柔道家にするから」 母が回想9年半の物語

2024年07月10日 05:30

柔道

父子で柔道五輪金へ 亡くなる直前に斉藤仁さんに約束「立派な柔道家にするから」 母が回想9年半の物語
子供たちが柔道を始める前から毎年のように名前の刺しゅう入りの柔道着を仕立て、記念写真を残していた斉藤仁さん(斉藤三恵子さん提供) Photo By 提供写真
 金メダリストの妻が母として、息子をパリ五輪に送り出す。柔道男子100キロ超級の斉藤立(22=JESグループ)の父は84年ロサンゼルス、88年ソウル両五輪の95キロ超級を連覇した仁さん(享年54)。15年1月20日に志半ばで天国へ旅立った夫の遺志を継いだのが三恵子さん(59)だ。亡くなる直前の仁さんに「立派な柔道家にするから、安心していいよ」と約束してから9年半。三恵子さんにとっても集大成の舞台が、まもなくやってくる。 (取材・構成 阿部 令)
 仁さんの遺影や数々の記念品が並べられた大阪市内の自宅の仏間。そこはかつて長男・一郎さんと立が厳しい稽古を受けた場所であり、今も柔道畳が敷き詰められている。その思い出詰まった場所で、三恵子さんは「約束は守れたかなと思うんです。ちょっとは褒めてもらえるかな」と遺影に視線を送った。

 鈴木桂治、石井慧と2人の五輪最重量級王者を育てた仁さんを、「あんな指導者は、もう出てこないと思います。最後の一人」と評すほど、その指導は厳しかった。小1で柔道を始めた立に対しても熱量は変わらず、失敗を3度繰り返せば怒号が飛んだ。道場での稽古から帰宅後も、1、2時間の練習は当たり前。自宅前の電柱を使った打ち込み、ロープを付けてのトレーニングで、あっという間に近所の評判となった。

 当時の三恵子さんはといえば、時に柔道着を着せられ寝技の練習台となることもあったが、基本的には一歩引いて見守る立場。ヒートアップしがちな仁さんを止めに入ることもあったが、大抵は「うるさい、黙っていろ」と聞く耳を持ってもらえなかった。それでも「“こいつらに教えているのは、いま全日本の選手に教えているのと同じことなんだ。これをできる日本の小学生は、立しかいねえよ”なんて言ってましたね」と述懐する。足や手のミリ単位の動きや角度、体格に頼らない組み手など、徹底的に基礎を叩き込まれる様子を傍らで見守った。

 そんな日々に終止符が打たれたのが、立が中1だった15年1月20日。小学生時代には仁さんと全国中学校大会に出て優勝するという約束を交わしていたものの、まだ真剣に柔道と向き合っていなかった。死の前日に病室に見舞った際も、仁さんから結果的に最後の言葉となる「稽古、行け」と言われ、がくぜんとしていたという。「史上最強の男。飛行機が落ちても一人だけ生き残るイメージを持っていた」という父との別れが近づいていることよりも、稽古に行かされることにショックを受けるほど、まだまだ幼い我が子を案じた。

 ただ、転機はすぐに訪れた。1月末、東京都文京区にある柔道の総本山・講道館で開催された強化合宿。三恵子さんは、初七日が終わってすぐのこの合宿に送り出した。

 「いろんな先生に声を掛けてもらい、お父さんはこんなに凄い人なんだよ、こんなことをしてもらったんだよと言われたみたいで。“こんなことがあってん。涙が止まらへんかった”と話してくれました」。仁さんが使っていたというロッカーも見せてもらい、柔道家・斉藤仁の偉大さを真の意味で理解。「それから柔道に向き合う姿勢が変わりました」と振り返る通り、三恵子さんも「稽古、行け」を実践したことが、立の転機となった。

 その後は全力で支えた。毎日お米を1升炊き、三段重ねのメイン弁当とサブ弁当を持たせた。中3で全国を制し、「国士舘(高校)に行きたい」と言った立の希望をかなえるために各所へ奔走。17年4月、同じタイミングで一郎さんも国士舘大進学のために上京。4人家族が3人になり、その2年後には大阪に1人、残されることになった。「高校に行ってから一度もホームシックになってないと言うんです。甘えん坊だったのに、あれは何やったかと思う。(東京に送り)私が帰りの新幹線で富士山を見て泣いてましたね」と苦笑いを浮かべる。

 高校、大学時代は国内外、大小問わず、試合を現地で観戦。現在は食事面のサポートのため、足しげく上京。体づくりを支えている。

 三恵子さんは今、仁さんに何を思うのか。「ちょっと恨み節はありますよ。残された人はみんな大変。やり出したことは、最後まで(面倒を)見てってよって言いたい」と語る表情はしかし、どこか幸せそうだ。そして日本柔道界初の父子五輪制覇が懸かる愛息を気づかう。「プレッシャーとか、人の2倍。そこは親としてふびんだなと思いますけど、立の柔道を貫いてほしいと思います」。仁さんと自分と、2人の愛情で育てた立が、伸び伸びと力を発揮することを、心から望んでいる。

 ◇斉藤 立(さいとう・たつる)2002年(平14)3月8日生まれ、大阪府出身の22歳。父の手ほどきで小1から柔道を開始。大阪・上宮中―東京・国士舘高―国士舘大を経て今年4月からJESグループ所属。22年全日本選手権で史上初の父子制覇を果たし、同年の世界選手権は初出場で2位。昨年8月に日本柔道初の父子五輪代表に内定した。組み手は左組み、得意技は体落とし。1メートル91、165キロ。家族は母・三恵子さん、兄・一郎さん。

《第5シードで出場へ》
 ○…斉藤は現在、国内で最終調整を進めており、開幕後の今月下旬に渡仏を予定している。先月末にはシード順位を上げるための戦略的措置として南米ペルーで行われた小規模な国際大会に出場して優勝。第6シードで本番に臨む見込みだったが、その後に国際オリンピック委員会が第2シードが予定されていたイナル・タソエフ(ロシア)の出場を承認せず。結果、第5シードに繰り上がる見込みとなった。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2024年07月10日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム