【内田雅也の追球】恐怖の夜を越えて 阪神が抱く開幕前の緊張感を解くには

2021年03月26日 08:00

野球

【内田雅也の追球】恐怖の夜を越えて 阪神が抱く開幕前の緊張感を解くには
開幕シーズンを迎えた神宮球場(撮影・坂田 高浩) Photo By スポニチ
 田辺聖子の『お茶が熱くてのめません』は作家・脚本家の女性が主人公である。男女の不思議な関係を描いた短編集『ジョゼと虎と魚たち』(角川文庫)にある。
 女性はもう十分な定評も人気も得ているのだが、突然、7年前に別れた男の訪問を受け、「あたし、いまでもプロになれたと思わない」とつい本音が漏れる。

 「いつも書き出す前に猛烈な恐怖心を感じて、手が冷(つべ)とうなってしまうねん、引き受けたけど書けるやろか、プロデューサー、ディレクターに気に入ってもらえるやろか、なんて……」

 主人公の女性は田辺自身ではないだろうか。あれほど多作の作家であっても、真っ白な原稿用紙の前に向かう時、恐怖を抱いていたのだろう。

 その恐怖心は同じプロとして、野球選手にも通じるものだ。

 開幕を迎える際、打者は「今年は1本もヒットを打てないんじゃないだろうか」と恐怖に襲われるという。あの王貞治も掛布雅之も同じ恐怖を打ち明けている。

 ともにプロ野球記録の14年連続開幕投手、開幕戦9勝の鈴木啓示は先の本紙評論家座談会で「2回目まではうれしかったかな。任せてもらえるんだと。回数が増えるごとに、負けたらどうしようと怖くなってきた。逃げたくなっていた」と話している。開幕試合の登板前、江夏豊をマッサージしたトレーナー・猿木忠男から「ガリガリ……ガリガリ……とネックレスをかじっていた」と異常な緊張を聞いたのを思い出す。

 プロは、一流になればなるほど、そんな恐怖に襲われるのだろう。恐れ、怖れ、そして畏れ……と、周囲の期待が高まるほど「おそれ」は増す。下馬評が高くなった今季の阪神は余計だろう。何しろ、今季は掛け値なしの優勝候補なのだ。

 開幕前日の25日は敵地・神宮球場でナイター練習だった。球場周辺、神宮外苑の桜はほぼ満開に咲き誇っていた。少し降った雨も催花雨」(さいかう)となり、より開花をうながすことだろう。猛虎たちは、自分たちの周囲にある、そんな美しい光景が目にとまっただろうか。

 冒頭に書いた田辺聖子には、映画のエッセー集『セピア色の映画館』(集英社文庫)がある。

 <監督と脚本(あるいは原作)と俳優とがうまく人生の刻(とき)を同じくしてめぐりあい、情熱をともにわかちあうとき――映画は窯変(ようへん)を起こして期待以上のすばらしい効果をもたらす>。

 窯(かま)の中で焼き物を焼くと、思いがけない色に出くわすことがある。accidental coloring(偶然生じた色彩)と英訳されることもあるそうだ。

 極めて人間的な競技だと言われる野球でも、人と人が「化学反応」を起こし、特別なチーム状態を生みだすことがある。

 つまり、恐怖を去る一つの方法はこの団結なのである。監督と選手、フロント、裏方が一丸となった窯変を楽しみに、恐怖の一夜明け、開幕を待つことにする。=敬称略=(編集委員)

おすすめテーマ

2021年03月26日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム
`; idoc.open(); idoc.write(innerHTML); idoc.close(); });