清原ジュニアだけじゃない東邦3選手にプロのDNA 父に兄に憧れてたどり着いたセンバツの舞台

2023年03月15日 08:00

野球

清原ジュニアだけじゃない東邦3選手にプロのDNA 父に兄に憧れてたどり着いたセンバツの舞台
肩を組み笑顔を見せる(左から)東邦の上田、石川、山北 (撮影・後藤 大輝) Photo By スポニチ
 第95回選抜高校野球大会(18日から14日間、甲子園)の開幕を前に、巨人などで活躍した清原和博氏の次男である慶応(神奈川)・勝児(2年)の聖地デビューが注目を集めている。ただ、この一例だけでなく、今春選抜にはプロ野球選手のDNAを受け継ぐ球児が数多く出場する。選手にとって、その存在は憧れであるとともに、常に比較対象とされる悩みの種でもあった。東邦(愛知)には親族にNPB経験者のいる選手が3人在籍している。彼らは兄や父から何を学び、乗り越え、聖地にたどり着いたか――に迫る。(河合 洋介)
 東邦の主将・石川瑛貴(3年)は、19年の選抜決勝・東邦―習志野(千葉)戦を現地で観戦している。その大舞台で2本塁打、完封勝利と選抜史に名を刻んだ主役がいた。それが4学年上の兄・石川昂弥(中日)だった。

 「あの試合を現地で見たことで東邦に入りたいなと思いました」

 少年野球から高校まで全て兄と同じチームに所属した。兄は、少年時代から誰よりも遠くに打球を飛ばしていた。「最初は兄と比べられるのが面倒くさいと思っていました」。東邦に進めば、また兄と比較される3年間になると分かっていた。それでも「比べられるのは小、中で慣れた」と気にしなかった。

 そして実力が認められ、兄と同じ主将に選ばれた。「兄と同じく決勝で本塁打を打ちたい」。昂弥の弟という看板に誇りを持ち、偉大な背中に一歩近づく春を思い描いている。

 背番号8の上田耕晟(3年)は、中日・上田佳範2軍打撃コーチの次男だ。「いつか自分もプロに行く」と父に憧れてきた。松商学園(長野)のエースだった父は、愛工大名電(愛知)の鈴木一朗(イチロー)を完璧に抑えるなど91年選抜で準優勝を果たした。その後、同年ドラフト1位で日本ハムに入団し、右肩を痛めて野手転向。その経験から投げ方は丁寧に指導された。

 中学時代には不振でふさぎ込んでいると「そんな気持ちでは高校で通用しない」と叱られた。甲子園で活躍した父の言葉には説得力があった。だから悩んだ時は、この一言を思い出して前を向く。

 1メートル89の長身右腕・山北一颯(3年)もまた、中日などで通算208試合登板の茂利さんを父に持つ。「プロ野球選手の息子として見られるのが苦しい時期もありました」。中学では同僚と口論となった際に「お父さんのおかげだろ」と言われたこともあった。「その言葉にハッとしました」。結果で認めさせようと練習量を増やすきっかけになった。

 3人ともに自身のルーツに感謝する。その思いを抱くまでに味わった苦しみや喜びを糧に、兄や父が経験した聖地に立つ。

 ◇上田 耕晟(うえだ・こうせい)2005年(平17)6月1日生まれ、愛知県名古屋市出身の17歳。小学1年から名古屋東リトルで野球を始めて三塁手。4年からは中京ボーイズ、中学では豊田リトルシニアに所属。東邦では1年夏に背番号17でベンチ入りし、1年秋から背番号8。50メートル6秒4、遠投100メートル。1メートル78、70キロ。右投げ左打ち。

 ◇石川 瑛貴(いしかわ・てるき)2005年(平17)9月16日生まれ、愛知県半田市出身の17歳。小学1年秋にツースリー大府で野球を始めて捕手。中学は愛知知多ボーイズに所属。東邦では2年春に背番号19でベンチ入りし、2年秋から主将を務めて背番号3。50メートル走6秒6、遠投95メートル。1メートル82、84キロ。右投げ右打ち。

 ◇山北 一颯(やまきた・かずさ)2005年(平17)6月16日生まれ、愛知県名古屋市出身の17歳。小学4年からTMジュニアで野球を始めて投手と一塁手。中学は東山クラブに所属。東邦では1年秋に背番号11でベンチ入りし、2年秋は背番号10。50メートル走6秒6、遠投100メートル。1メートル89、87キロ。右投げ右打ち。

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