抜群の制球力誇り「精密機械」と呼ばれた北別府氏 いまなお語り継がれる86年V時の津田氏との熱い抱擁

2023年06月16日 16:17

野球

抜群の制球力誇り「精密機械」と呼ばれた北別府氏 いまなお語り継がれる86年V時の津田氏との熱い抱擁
球種の握りを確かめ合う北別府学(右)と津田恒実(89年撮影) Photo By スポニチ
 元広島の投手で野球解説者の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)氏が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳だった。
 広島時代にエースとして通算213勝をマーク。沢村賞を2度獲得し、2012年には競技者表彰で野球殿堂入りした。20年1月に自身のブログで成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表。同年5月には次男をドナーとする骨髄移植を受けた。21年6月には転倒して側頭部を10数針縫い、尾てい骨を骨折。21年11月には大腿骨骨折が判明して人工大腿骨にする手術を受け、22年には3月の尿毒症に続いて6月には敗血症を発症するなど入退院を繰り返していた。

 抜群のコントロールから「精密機械」の異名を持った北別府氏だが、心は熱く、情にも深い男だった。広島ファンのみならず、野球ファンの中で今でも語り草となっているのは、リーグ優勝を決めた86年10月12日のヤクルト戦(神宮)だろう。

 大事な一戦に先発し、8回まで完封ペースだったにも関わらず「(抑えの)津田に試合を締めてもらいたいと思って」と8回を終え、降板。投手なら誰もが夢見る胴上げ投手を譲った。優勝後、2人が熱い抱擁を交わしたシーンは涙を誘った。

 「精密機械」に対し、「炎のストッパー」として愛された津田だったが、脳腫瘍のため93年7月20日に32歳の若さで死去した。それから19年後。12年7月20日の球宴第1戦の試合前に殿堂入りの表彰式は開かれた。天国にいる津田の妻・晃代さんとともに出席した北別府は、戦友の命日に行われたことにも触れながら「同時に受賞できて本当に良かった。久々に完封してヒーローになった気分。もし(津田氏が)元気だったら、酒でしょう。祝杯をあげていたと思う」と穏やかな笑みを交え、感慨に浸った。

 「チームが強かったから成績をあげられた。チームメートにも恵まれた。怪我もなかったし、親に感謝したい」と周囲への思いを述べ「残りの人生で、野球界のために尽力していきたい」と志半ばで亡くなった仲間の分まで、球界の発展を願ってやまなかった。

 北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)1957年(昭32)7月12日生まれ、鹿児島県出身。都城農から1975年ドラフト1位で広島に入団。79年に17勝を挙げて球団初の日本一に貢献。82年には自身初のシーズン20勝をマークし、沢村賞、最多勝を獲得した。広島一筋で19年間プレーし、94年限りで現役引退。通算515試合の登板で213勝141敗5セーブ。現役時代は1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

おすすめテーマ

2023年06月16日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム