【内田雅也の追球】節目飾った1点差の妙 岡田監督の采配が驚異の勝率支える

2024年05月24日 08:00

野球

【内田雅也の追球】節目飾った1点差の妙 岡田監督の采配が驚異の勝率支える
<広・神>3回1死、石原の打球を好捕する近本(撮影・北條 貴史) Photo By スポニチ
 【セ・リーグ   阪神2―1広島 ( 2024年5月23日    マツダ )】 劇的フィナーレのGEDP(ゲームエンディングダブルプレー)は中野拓夢のサーカスプレーだった。1点リードの9回裏1死一、三塁、松山竜平の一、二塁間ゴロに追いつき、1回転で二塁送球、併殺に仕留めた。
 中野は8回裏2死一、二塁でも右前に落ちそうな飛球を好捕。深めの位置取りも隠れていた。5回裏2死一、二塁での一、二塁間ゴロも好捕好送球と、幾度もピンチを救った。森下翔太のフェンス際好捕、近本光司の中前ライナー性好捕……など、守り勝ちである。

 これで阪神は1点差試合で13勝目(3敗)。リーグ断トツで勝率8割1分3厘は驚異的である。よく「1点差試合は監督の責任」と言う。監督・岡田彰布の采配が光る。

 この夜は継投で細工を施した。8回裏先頭、投手の打順、代打が来る。7回裏を投げた石井大智を回またぎでそのままマウンドに送った。「右打者が来たら1人だけ行くぞ」と伝えてあった。

 通常は右の石井に左の代打で、その場合は左の桐敷拓馬を送る構えでいた。ところが、広島は代打に右の二俣翔一を送ってきた。岡田の予感は当たり、石井は二俣を見逃し三振に切った。

 「それは(広島の)読み過ぎやろ。左の代打こられて、桐敷に代えとった方が嫌やった。桐敷対二俣の方が嫌やった」。二俣は左投手に強く、前夜は岩崎優に粘って四球を奪っていた。だが右投手には8打数無安打だった。この手の細かな駆け引きに岡田は絶対の自信を持ち、だから1点差試合に強いのである。

 この夜は記念すべき節目だった。セ・リーグ公式戦通算1万試合。一番乗りでの到達だった。

 1950(昭和25)年の2リーグ分立当時、阪神は骨抜き状態だった。新球団・毎日(現ロッテ)に監督兼投手の若林忠志、主砲・別当薫ら主力が大量に移籍していた。

 日替わりオーダーで苦労した監督・松木謙治郎は戦前の主砲・景浦将の夢を何度も見た。戦死した景浦が玄関に立っていた。「猛虎魂をうえつけてくれる人がほしかった」と著書『タイガースの生いたち』(恒文社)に記した。闘志を前面に好機にめっぽう強かった。

 今も苦労する。岡田は「チャンスになったらほんっとにアカンな。もっと楽に勝たんと」と再三の逸機を嘆く。景浦が恋しかった。 =敬称略= (編集委員)

おすすめテーマ

2024年05月24日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム