21日武藤敬司引退試合で自作の詩朗読 「2月21日は昭和プロレスの終焉」古舘伊知郎インタビュー<上>

2023年02月17日 17:30

格闘技

21日武藤敬司引退試合で自作の詩朗読 「2月21日は昭和プロレスの終焉」古舘伊知郎インタビュー<上>
質問に答える古舘伊知郎(撮影・会津 智海) Photo By スポニチ
 プロレスラー武藤敬司の引退試合となる2・21東京ドーム大会にフリーアナウンサー古舘伊知郎の来場が決定した。大会を独占生中継するABEMAが17日、発表した。古舘はノア初登場で、武藤敬司へのはなむけの言葉として自作の詩を朗読する。
 「古舘節」とプロレス実況にて絶大な人気を誇った古舘は故アントニオ猪木さんとも深い関わりがあり、1998年4月4日に開催されたアントニオ猪木引退試合では試合後に自作の詩を朗読した。猪木さんの弟子でもある武藤敬司の引退でも自作の詩を披露する古舘に単独インタビューし、武藤敬司の魅力、昭和プロレスへの思いなどを聞いた。

 ――このたび、武藤敬司引退試合で詩を朗読することになりました。今の心境は。
 「猪木さんのときは放送席だったから、詩をつくって朗読して、その後に猪木さんの“この道をいけば…”につながって。いい連係ができたかなと思います。今回はリングに上がってくれと言われているんですけど、今のファンに“何なの?”と思われるかもしれない。でも、うれしいから、自己顕示欲も強いですから喜んでいる。でも、リングに上がって譜面台持って読むとか嫌じゃないですか。コミッショナー宣言じゃないんだから(笑い)。頭のなかに全部入れようかなと思っています。武藤さんと相談しながら」

 ――かなり大変ですね。
 「しんどいですよ。全部頭に入れてやろうと68歳にもなって。フリートークなら得意ですけど、詩を作ったとはいえ、一言一句、“それでね”とか、無駄な言葉や接続詞を入れないできちんと再現するのは難しいんですよ。ましてリングに上がって。でも、やってみようかなと。(文面を)読まないで。言っちゃったら最後。読んでられるか!みたいなキャッチコピーつけてくださいよ。自分に言い聞かせます。有言実行にします」

 ――かつて「ワールドプロレスリング」でプロレスを実況されて感じたことは
 「僕は“闘いのワンダーランド”と言わせていただいて、それがちょっとはやったんですけど、本当にプロレスだけは、実況の解放区だと思います。野球でもラジオでもサッカーでも、それなりに実況のノリを超えてはいけない枠があります。昔も今も。どんなにゴール、ゴールのようなラテン系の実況がはやっても実況はあくまで脇役なんです。名バイプレーヤーにならなくてはいけない。ただ、プロレスだけはね、そういう常識がないんです。実況してても自分が主役のように予言実況してみたり」

 ――プロレスが他のスポーツと違った面も多いですね。
 「プロレスがルールとしてリング内で試合しなくてはいけないのに、反則4カウントもOKとか、20カウントなら場外乱闘も許されるというのりしろがある。バッファを持っている。そんなスポーツは他にない。この前のサッカーのワールドカップだって最後はAIがチェックするわけですから。ダメですよね、プロレスみたいなバッファつきなのは。ただ、これが解放区につながって、めちゃめちゃぶりを許してくれる。プロレスは人生そのものがあると思うんです。人生には敗者復活もルール違反もある。世の中の矛盾とか、何で反則が許されるんだと大矛盾をはらんでいる。だから言葉の矛盾もOKだった。プロレスだけはね」 

――古舘さんはユニークなフレーズで有名でした。事前に用意されていたのですか。
 「アドリブが3割、(事前に)用意が7割ですかね。やっぱりアドリブが一番はまるんです。初球振りかぶって投げた、打った、レフト線痛烈なライナー。これが一番いいんですね。現象に後追いするのは実況描写ですから。そこでぽんと、これウケて良かったと思ったのは“掟破りの逆さそり”。長州対藤波。その場で藤波辰爾が何でさそりやるの?ってなり、(実況で)掟破り~~って言っている。逆さそりだって言葉は意味不明で分からない。意味不明ですけど、そのアドリブの臨場感、躍動感でファンは喜んでくれたと思っています。やっぱりアドリブに尽きる。ところが、それだけでは追いつかないから、いっぱい言わないといけないのでいろんなレスラーのことを、7割くらいは一生懸命考えてメモ用紙に書いていました。それを読んだり、叫んだりしましたが、その方がヒット率は低いです。せいぜい内野安打くらい。やっぱり、現象と自分の出合い頭ですからアドリブに勝るものはないです」

 ――昨年10月に逝去されたアントニオ猪木さんに対する思いは。
 「猪木さん1人ではないにしても、確実に私の一部を作ってくれた人ですから。22歳からのしゃべり手人生を作ってくれたのは僕の中では4人くらいいますが、猪木さんはそのうちの1人。10月1日に亡くなったときにつくづく思ったのは、自分の一部がこそげ落ちた感じがしました。訃報を聞いて、朝、すごく冷静ぶった自分を作ったんです。ずっと覚悟はしていましたし数日前に猪木さんにお見舞いしている。ほとんど意識もないなかでも若干会話もした。ばたばたしたところに行って関係者に迷惑をかけてもいけない。控えようと思っていたのに、夕方歩いて行っているんですよ、馬鹿かと思いました。朝どういう思いで自分に言い聞かせたかと。肉体の一部がこそげ落ちているから何か埋めようとしているんですね。額に触らせてもらっても冷たい。当たり前ですけど、でも死に顔はものすごく優しく見えたので、“猪木さん良かったですね”と心の中では言いました」。

 ――2022年10月1日はプロレス界も死んでました。 
 「プロレスは死んでいないと思いますね。昭和のプロレスが死んだ。追い打ちかけるように武藤&ムタが引退となると確実に昭和プロレスの終焉ですね。僕は猪木さんが亡くなった10月1日が昭和プロレスが死んだ日、そして2月21日は昭和プロレスの終焉と思っています。昭和のいいところをいろいろ余韻として引っ張って今までつないだ見事な天才レスラーです。猪木と武藤は僕の中で勝手につながって、昭和というキーワードでつなぎたい感じがします」

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