佐川満男さん死去 84歳 紅白4回出場 NHK朝ドラなど俳優でも活躍
2024年04月21日 04:45
芸能
2003年に胃がんを患い、胃の3分の2を摘出。18年には脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を受けた。それ以降は大病もなく元気だったが、数カ月前から体調が優れなくなった。3月下旬に入院し、そのまま病院で、再婚した妻にみとられ「苦しまずに、眠るように亡くなった」(事務所)という。
高校時代、家にギターがあったことで音楽にのめり込み、バンドを結成。大阪・難波の有名ジャズ喫茶のオーディションにボーカルで合格し、ロック歌手の内田裕也さんとツインボーカルでステージに立った。この頃、自身最大のヒット曲「今は幸せかい」を作詞作曲した中村泰士さんとも知り合った。
上京後の1960年に「佐川ミツオ」の芸名を名乗り「二人の並木径」でデビュー。当時巻き起こっていたリバイバルブームに乗って、♪いのち短し…の歌詞で知られる、大正の歌謡曲「ゴンドラの唄」もヒットさせた。61、62年とNHK紅白歌合戦に連続出場。「今は幸せかい」は本名の「佐川満男」名義で68年に発売。歌詞の♪遅かったのかい…が流行語になるほど大ヒットした。紅白には生涯で4回出場した。
ロマンスでも話題を集めた。所属していたレコード会社に移籍してきた伊東ゆかり(77)と、初デートから18日目で婚約。71年7月に結婚した。長女で歌手の宙美(ひろみ、年齢非公表)を授かったが、75年の5月に離婚。大阪市内にステージがあるクラブをオープンさせ、歌手廃業を宣言、一時引退した。87年に芸能活動に本格復帰すると、味のある脇役として存在感を発揮。特に、NHK大阪放送局が制作した連続テレビ小説には、94年の「ぴあの」を皮切りに21年の「カムカムエヴリバディ」まで10作に出演した。
伊東とは離婚後も交流を続けた。16年に神戸で開催した「芸能生活55周年大感謝祭~生前葬~」で共演。18年には、宙美とともに3人でテレビ朝日「徹子の部屋」に出演し世間を驚かせた。
≪かつら秘話も≫佐川さんは朝ドラ「マッサン」に出演中だった15年、NHK「バラエティー生活笑百科」で「実は40代の頃、かつらを着けてました」と突然“カミングアウト”した。接着剤が半乾きの時に「ピュッと着けるんです」などと説明。ある日、ほこりをかぶった車のトランクに「パパはハゲ」と書かれているのを見て、当時、小学1年生だった宙美のことを思って「脱ぐ決心をしました」と語っていた。
≪元妻・伊東ゆかりが追悼≫伊東は所属事務所を通じて「同じ時代を生き抜いた歌手として、楽しい思い出がいっぱいあります。できればまた、娘と3人で歌いたかった。残念です。佐川満男さんお疲れさまでした」と追悼のコメントを寄せた。離婚後、佐川さんは再婚したが、伊東はしていない。
≪出演映画を先行公開した12日に…≫
▼中村和宏氏(「あまろっく」を監督)この映画をオファーした際、初めは高齢を理由にお断りされましたが、最終的には「これを最後の仕事にする」という決意を示してくださいました。映画の公開が佐川さんへの最もふさわしい追悼となるよう、心より願っております。
佐川 満男(さがわ・みつお)1939年(昭14)11月9日、神戸市生まれ。60年、バンド「スイング・ウエスト」にボーカルで参加。同年に「無情の夢」がヒット。68年の大ヒット曲「今は幸せかい」の歌詞「遅かったのかい…」は流行語になった。映画は「極道の妻たち」シリーズ、「新・仁義なき戦い」「亡国のイージス」などに出演。伊東と離婚後の再婚相手とは一度離婚し、再び結婚した。