「両方をやるのが当たり前だった」

2008年01月09日 06:00

五輪

「両方をやるのが当たり前だった」
宗家花火鍵屋の15代目で、日ごろは花火職人として仕事をこなす天野安喜子さん。国際柔道連盟審判員として北京五輪に派遣されインタビューを受ける。
 そして花火の修業に明け暮れていた95年、柔道の現役を引退した直後の25歳で“もう1つの天職”に出合う。「天野家では絶対的な存在」という柔道家の父の命令で、審判員を始めた。週末の休日を利用し、毎週のように各地の大会で腕を磨き続けた。「休日がなくても苦にはならなかった。柔道と花火、両方やるのが小さいときから当たり前だったんです」
 01年、アジアでは隔年で10人しか認められない難関を突破して国際審判員の資格を取得。国際大会でも経験を積み、ついに11月、来年の北京五輪審判員に決定した。現役時代には届かなかった夢の五輪の舞台。「五輪の審判員になれるなんて思っていなかった。“やったあ、うれしい!”の一言です」
 花火と柔道という男性中心の世界を、気負うことなく駆け抜けてきた。「どちらも自分のためにやってきたから、男社会に飛び込んでるという意識もなかったですね」
 来年8月、天野さんが日本と中国で最高の祭りを仕掛ける夏がやってくる。

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