恩師が語る川村あんり「天才と言われるけど、そうじゃない」五輪は努力のたまもの

2022年02月07日 05:30

フリースタイルスキー

恩師が語る川村あんり「天才と言われるけど、そうじゃない」五輪は努力のたまもの
12歳のころの川村あんりと兄弟子の白鳥功貴さん(白鳥貴章さん提供) Photo By 提供写真
 【北京冬季五輪第3日・モーグル女子 ( 2022年2月6日    雲頂スキー公園 )】 「彼女は天才と言われるけど、そうじゃない。もの凄く努力した」と語るのは、小5~中2までの4年間、モーグル女子の川村あんり(17=東京・日体大桜華高)を指導した白鳥貴章さん(49)だ。新潟県湯沢町のスキー場を拠点に、看板を持たない指導者として原大智も高校進学まで指導した。年端もいかない少女時代から、「度胸は他の子が100なら、あんりは1000」と認める存在だった。

 川村の存在自体は、同じエリアのスキー場で練習していたこともあり、4歳ごろから知っていたという。実業団のアイスホッケー選手だった父・修一さんから指導を頼まれたのが小5の時。当時はまだ成績が伴わず、大会で負けて泣いている姿を目にしていたが、負けん気は強く、怖さ知らずだった。

 指導方針は「長所を伸ばし、苦手な部分は触れない」こと。川村は「コブからの抜けが良かった。他の子が板を横にするところを、体重移動で滑ることができたし、下に行く気持ちも強かった」。ターンをベースに戦える選手と見抜き、学年が7つ上で国体優勝の実績などもある長男・功貴(あつき)さん(23)の真後ろを滑らせたり、1日25本もの通し練習を課した。男子でも音を上げるほどの練習量だったが、弱音ははかなかったという。

 川村を妹のようにかわいがり、父の運転するキャンピングカーで一緒に遠征にも出かけた功貴さんも「滑りが似ていると言われた時期もあった」と話す。その性格も「負けず嫌いで目立ちたがり屋。明るい。欲しいと思った物は、手に入れないと済まない性格。勝ちもお菓子も」と懐かしむ。功貴さんが20歳で引退した時には、一通の手紙を送られた。「アツキの決断なら、それを応援する。アツキの分も滑って金メダルを獲るから、夢を託してください、と」。師匠と兄弟子にとっても、思いの詰まった五輪となった。

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