数奇な運命をたどったナゲッツ デビッド・トンプソンの挫折とファイナル初出場までの長い道のり

2023年05月23日 14:16

バスケット

数奇な運命をたどったナゲッツ デビッド・トンプソンの挫折とファイナル初出場までの長い道のり
西地区決勝でMVPとなったナゲッツのニコラ・ヨキッチ(AP) Photo By AP
 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】ナゲッツは本当は1970年代にファイナルに勝ち進んでいたであろうチームだったと思う。それはそのときデビッド・トンプソンというとんでもない選手がいたから。「バックボードのてっぺん(3メートル95)にコインを置いくる」もしくは「バックボードのてっぺんに置いてあるコインを取ってくる」という噂は、太平洋をはさんだ昭和の日本のバスケファンの耳にも届いた。私もその1人だった。
 193センチのトンプソンはノースカロライナ州立大時代にNCAAトーナメント(全米大学選手権)で優勝。NBAの対抗組織だったABA最後のシーズンとなった1975年のファイナル(ペイサーズに2勝4敗)ではナゲッツの大黒柱だった。

 垂直跳びはノーステップで44インチ(111・8センチ)、助走をつけると48インチ(121・9センチ)だったと言われており、その宙を高く舞う姿から“スカイウォーカー”という異名を与えられていた。マイケル・ジョーダンでさえ「滞空力(VERTICAL・LEAP)という言葉はすべてトンプソンから始まった」と言うほど。ペイント内のゴール正面でシュートを放った相手選手の背後から“離陸”してその選手の横を通りすぎ、前方に回り込んでからさらに“高度”を上げてそのシュートをブロックするという離れ業も披露していた。。

 ただ彼は“マイケル・ジョーダン”になりきれなかった。1977年シーズンには得点王となり、ポストシーズンでは西地区決勝まで進んだがスーパーソニックスに2勝4敗で敗退。これがナゲッツのNBAでのファイナル進出への最初のチャンスだった。敗れたものの、すぐにチャンスはまた巡ってくると多くの人が予想していたが、トンプソンはこのころから薬物とアルコールにおぼれ、故障も加わって“失速”していく。現役はABA時代を含めて9シーズンでピリオドを打ち、最後の2シーズンはスーパーソニックスでプレーしていた。

 もしNBAが当時、厳格な薬物規定を設けてきびしい目を光らせていたら、トンプソンが人生の階段をいち早く降りていくことはなかったと思う。それはナゲッツのファイナル進出という別の運命をも生み出していた可能性があったはずだが、現実は違っていた。

 もうひとつナゲッツを巡っては別次元の運命がある。実はコロラド州デンバーに本拠を置くNBAのナゲッツには2つの歴史があった。最初のチームは今回ファイナル初出場を決めたチームとは無関係。もともとアマチュアのチームとして1946年に誕生した初代ナゲッツが紆余曲折を経てNBAに加盟したのは1949年だった。シーズンを通して在籍したのは計16選手。11勝51敗というひどい成績で、しかもこの翌年にはNBA脱退組で作ったNPBLという別組織にさっさと移っている。

 “末路”はさらに複雑。NPBL加盟時にはナゲッツではなくリファイナーズで、シーズンの残り6試合はアゴーガンズとなって本拠はインディアナ州エバンスビルに移っていた。そしてNPBLも元祖ナゲッツも1951年に消滅している。

 では二代目にして初のファイナル進出を成し遂げた新生ナゲッツ?のルーツはどこにあるかと言えば、1967年にNBAに対抗して組織化されたABAだった。南カリフォルニア州在住の実業家、ジェームズ・トリンドルがミズーリ州カンザスシティーにABAのチームを作ろうとしたのが始まりだった。しかし専用のアリーナを確保できず計画は頓挫。そのとき「デンバーに行けばいい」と救いの手を差し伸べたのはABAの初代コミッショナーであり、レイカーズがミネアポリスに本拠を置いていたときにリーグ屈指のセンターとして活躍したジョージ・マイカンだった。

 しかし加盟費10万ドルの調達は難航。トリンドルは資金調達のため株式の3分の2をデンバーで運送業を営んでいたビル・リングスビー氏に譲渡しており、チームが産声をあげる前に筆頭オーナーではなくなっていた。最初のチーム名はナゲッツではなくラークス(ヒバリ)だったが、リングスビー新オーナーがロケッツに変更。ABAの弱体化が顕著となってNBAへの吸収合併が視野に入っていた1974年シーズンに、かつてNBAに存在していたチームに併せてナゲッツとしたのだった。なぜならそのときすでにNBAにはヒューストン・ロケッツというチームが存在しており、デンバー・ロケッツのままではNBA入りができないからだった。

 つまり現在のナゲッツというのは、もしかしたらカンザスシティーでラークスだったチームであり、1949年に存在した初代ナゲッツがそのまま居残っていれば、ニコラ・ヨキッチ(28)のいる現在のナゲッツはまったく別の名前で存在したはず。NBAの歴史の中でも数奇な運命をたどったチームのひとつだった。

 ABA最後のシーズンとなった1975年、所属していたのは9チーム。このうちスパーズ、ネッツ、ペイサーズとナゲッツの4チームが生き残ってNBAに移った。スパーズ、ネッツ、ペイサーズはすでにファイナル進出を果たしており、最後まで大舞台への切符を勝ち取れなかったのが、もしかしたらラークスだったかもしれない?ナゲッツ。初めてのNBAファイナルでは、まだ決まっていない東地区の2チーム(ヒートかセルティクス)のどちらが勝ち上がってもナゲッツが有利と判断されるだろう。

 デビッド・トンプソンの“伝説”が海をわたってから47年。ゴールドラッシュにちなんでNUGGET(金塊)と名付けられたABAのサバイバル・チームは、長く曲がりくねった道を歩んだあと、NBAの頂点に登りつめようとしている。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは5時間35分で完走。

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