「熱き日々は早く止めよ」――明治の教科書にもあった野球の熱中症注意

2018年09月05日 08:00

野球

「熱き日々は早く止めよ」――明治の教科書にもあった野球の熱中症注意
子どものボール遊びを伝える明治初期の国語教科書『小学読本』。バットやボールで遊んでいる。 Photo By スポニチ
 【内田雅也の広角追球】日本で最初に野球が紹介されている書籍と言えば、明治時代の教科書『小学読本』で間違いないだろう。1872(明治5)年に学制が公布となり、翌1873(明治6)年に小学校の国語教科書として刊行となった。
 全4巻で巻1、2はアメリカの教科書『ウィルソン・リーダー』を翻訳したものだ。

 この巻1に「野球」のページがある。いや、一高の中馬庚(ちゅうま・かのえ)がベースボールを野球と翻訳するのは1894(明治27)年秋なので、まだ野球という言葉はない。原書の『ウィルソン・リーダー』もベースボールという言葉は使われていない。

 ともかく、挿絵にボールとバットが描かれた野球のような遊びが紹介されている。本で読み、話に聞いてはいた、その『小学読本』の現物=写真=を初めて見る機会があった。

 別件の取材で知り合った北川和夫さん(79)=写真=から「こういうものが出てきたのだが」と連絡をもらい、訪ねた。北川さんは自称「コレクター」で、長年種々の古い品物を集め、「想い出博物館」(大阪市北区)を運営している。この『小学読本』は30年ほど前、大阪・四天王寺の朝市で見つけた。冒頭に<凡世界に住居する人に五種あり>と人種の説明があり「江戸時代まで鎖国をしていた日本が、いきなり世界に目を広げている点が思いをかき立てた」と「1冊2、3千円で購入した」そうだ。

 2冊あり、ともに1874(明治7)年改正版。編さんは文部省と師範学校とある。自筆で所有者の名前が書かれており、住所はそれぞれ「和歌山県・山村」と「姫路・六角村」とあった。

 挿絵の説明文は次のように記されている。

 <群児、相集り、毬を投げて、遊び居り、◯彼等の棒を持てるハ、投げたる毬を、受留るを以て、楽とするなり、若し其毬を受留ること、能ハざる者をバ、負とするなり、◯此毬ハ、柔にして、堅きものに、あらざるゆゑ、人に中りても、傷くことなし>

 棒(バット)で毬(まり=ボール)を受けとめ、受けとめられなければ負け、と説明している。ボールは柔らかくて、当たってもけがはしない、とある。

 明らかな誤解、または誤訳である。挿絵も原書ではバット1本にボールも1個だが、バット3本、ボールも2、3個描かれている。

 日本で初めて野球らしきものが行われたのは学制公布と同じ1872(明治5)年だった。第一大学区第一番中学(後の開成学校、現在の東京大学)でアメリカ人教師、ホーレス・ウィルソンが生徒たちに伝えた。

 この『小学読本』はその2年後に出ているのだが、当時はまだまだ、野球を見聞きした人は少なく、翻訳者、編集者の誤りも仕方がない。

 後に、一高や各大学に広がっていき、さらに野球を学んだ学生たちは故郷に帰り、地元の小学校、中学校で伝えていったわけだ。

 北川さんはその証拠と言える絵はがき=写真=も所蔵していた。「いつ、どこで手に入れたか忘れてしまったのですが……」と差し出したはがき大のそれは、広場で着物を着た子どもたちが野球をしている写真が添えられていた。

 投手は上手から今まさに投げようとするところで、打者はバットを手に構えている。捕手は中腰だ。野手は7人映っており、守備側は計9人。グラブやミットはなく、全員素手だ。攻撃側は打者を除き、一塁側ファウル地域にあぐらを組んで座っている。そして、球審と一塁手の位置に学生服の青年が映っている。彼らは恐らく、地元の小学生たちに野球を教えているのである。明治期の光景ではないだろうか。日本で学校のなかで野球が広まっていった歴史を示す写真として興味深い。

 さて『小学読本』に戻る。先の説明文には続きがあり、次のように記されていた。2冊で微妙に文章が異なっており、それぞれ紹介する。

 <此は善き遊なれども、熱き日々は早くこれを止めよ。酷しき熱さに触るときは、身を害(そこな)ふを以てなり>

 <小児等は球遊びを好めり。それは遊ぶに善きことなれども、終日遊ぶべからず。又熱き日には長く遊ぶべからず。強き熱さに触るべからず。然るときは身を害ふものなり>

 野球は楽しいが、一日中プレーするのは控えろ。暑い日の長時間プレーするな。酷暑の時は止めろ。体をこわすことになる――といった注意が書かれているわけだ。

 <酷しき>とは何と読むのだろう。<きびしき>だろうか。いずれにしろ真夏の酷暑、猛暑を指していることは分かる。

 原書を今風に訳せば「暑い日はあまり長くプレーするな。体を壊すので、暑さには触れてはいけない」となる。

 夏を避けるかの表現である。恐らく、アメリカでは当時からスポーツのシーズン制が敷かれており、野球は主に春秋にプレーされていたのだろうと推測する。

 逆に、野球はあまりに楽しいため、気候や天候にかかわらず、長い時間プレーしてしまうものだったとも言えるだろう。

 近年の猛暑・酷暑で、特に高校野球、夏の甲子園大会での熱中症対策が論じられている。そんな折、日本の書籍で最初に野球が登場した時、すでに、その危険性が注意されていたとは、ちょっとした発見だった。

 地球温暖化で、当時に比べれば、夏の暑さは異常だ。日本の野球界には140年以上前からの宿題が目の前に横たわっているかのようである。

     (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。2007年から大阪本社発行紙面で『内田雅也の追球』をほぼ連日掲載。今回、情報を提供していただいた北川和夫さんは、日本キューピークラブ会長も務めている。6月22日更新の当欄で書いた「キューピーの謎」でお世話になった。

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