右肘痛で登板回避の近江・岩佐 準決勝敗退も先発で奮闘2年生右腕へ感謝「山田がいたからここまで来れた」

2021年08月28日 13:44

野球

右肘痛で登板回避の近江・岩佐 準決勝敗退も先発で奮闘2年生右腕へ感謝「山田がいたからここまで来れた」
<近江・智弁和歌山> 試合に敗れ、呆然と立ち尽くす近江・岩佐 (撮影・後藤 大輝) Photo By スポニチ
 【第103回全国高校野球選手権大会   智弁和歌山5―1近江 ( 2021年8月28日    甲子園 )】 投げたかった。でも、投げられなかった。1―5の敗戦。決勝の舞台までは届かなかった。それでも、近江のエース・岩佐直哉にはやりきった充実感もあった。
 「負けて悔しいけど、ここまで来れてうれしく思います」。背番号1を背負い、2年生右腕・山田陽翔との継投でベスト4まで勝ち上がった。準々決勝まで4試合登板して計12回2/3を自責6。194球を投げてきた。

 右肘に痛みを感じたのは26日の神戸国際大付(兵庫)との準々決勝の7回だった。「調子が悪くて途中から痛いな、と。今日も投げたかったけど、投げられなかった」。試合中にブルペンで2、3球投げたが、痛みは変わらない。ベンチで声を出し、必死に投げる山田を激励。ただ、リリーフして助けることはできなかった。

 今春は怪我で試合に投げられなかった。そこから地道なリハビリで復調し、最速148キロもマーク。山田との勝利の方程式を確立した。最後に救援できなかった岩佐は「ライバルでもあり、凄く頼れる後輩。山田がいなかったら僕もここまで来られなかった。感謝したい」と言った。2人の太い絆が近江のこの夏の原動力だった。

 試合後、岩佐は山田へ言った。「ナイスピッチング。来年、甲子園に戻って来て日本一を獲ってくれ」。いつも救援してきた先輩から、熱い思いが後輩へリレーされた。 (秋村 誠人)

 ◇岩佐 直哉(いわさ・なおや) 2003年(平15)10月13日生まれ、滋賀県出身の17歳。小学2年から玉津少年野球部で野球を始め、守山中時代は滋賀栗東ボーイズで投手、三塁手、外野手。近江では1年秋からベンチ入り。1メートル80、83キロ。右投げ右打ち。

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