【センバツの記憶1978年・後編】なぜ僕が、なぜ78球で…5132戦目史上初の完全男・松本稔の証言
2022年03月17日 16:00
野球
7番・山本直を二飛に、8番・大伴を二ゴロに打ち取り2アウト。息を飲むスタンド。比叡山ベンチはここで代打・時田を打席に送った。
「正直いやな感じでした。それまでの26人はすべて右打者。最後に出てきた時田が初めての左打者だったんです。右打者の外角には自信があったんですが、左打者の外角は自信なかったんです。まずいなと」
案の定、初球はシュート気味に引っかかったボールだった。しかし打者・時田も緊張していたのだろう。その初球にバットを出し、白球は松本氏の前に転がってきた。マウンドを左前方に駆け下り、そのまま一塁に送球。その瞬間、春夏通じて初の偉業はなった。
遊撃の堺晃彦が背中に飛びついてきた。だが松本氏は「高校野球だから派手なことはしちゃいけない」の思いから、すぐに試合終了の列に向かった。
試合終了、午後3時53分。試合時間1時間35分。投球数78。内野ゴロ17、内野飛球2、外野飛球3、三振5。虎の子の1点を守り切った前橋ナイン全員の快挙だった。
~奇跡の78球 春夏甲子園5132試合目の完全試合~
史上初の「完全試合」。周囲は大騒ぎとなった。試合後、取材エリアが報道陣でごった返し、いつも以上に熱を帯びたものとなった。お立ち台でインタビュー。ここでの受け答えはマウンド同様、興奮するというより、冷静な姿勢が印象的だった。
「最初アナウンサーから史上初の完全試合ですが知っていましたか?と聞かれたんです。史上初を知っていたのか、完全試合を知っていたのか、なんか分からなくて知ってますと答えたんですけど、史上初は知りませんでした」
途中までノーヒットノーランという気持ちで投げていた。完全試合なんて見たことも、もちろん自分自身が達成するなんて思ってもいない。このお立ち台でのやりとりは、どこかちぐはぐなものになった。それより初のセンバツ出場で甲子園1勝を挙げたことのほうがうれしかった。
このお立ち台で「相手に申し訳ないことをしてしまいました」とも言った。もちろん完全試合を食らった比叡山に対しての気遣いだったが、内心もう一つの意味が隠されていた。「なんといったらいいんでしょう。僕みたいな者が完全試合をしてしまう。気合い入れて厳しい練習をしてもいないし、中途半端。こんな努力しなくてこんなことしちゃって」
「僕は伊勢崎から電車で前橋まで通学していました。仲のいいのと二人で。電車には通学する女子高生がいますよね。そいつと“もうちょっとこのまま通学しようぜ”なんて話して、野球部に入ったのは他の選手より2週間遅いんですよ。そんな感じでしたから、申し訳ないという言葉が出たんでしょう」
~TBS「ザ・ベストテン」で久米宏さんが・・~
もちろん前橋が県内屈指の進学校だったという側面もある。勉強もおろそかにできない。1日の中で野球が全部を占めるというより、野球もその中にあるという高校生活だった。球史に残る快挙を達成して「申し訳ない」と謝った男は後にも先にも松本氏しかいないだろう。球場での取材から解放され西宮市内の宿舎に戻ってからも大変だった。ここにも報道陣、学校関係者、群馬県関係者らがどっと押しかけた。このままでは収拾がつかないと判断され、選手たちは宿舎の2階に“避難”した。テレビをつけると思わぬ映像が飛び込んできた。
「みんなでザ・ベストテン(TBS系列で放送された生放送の人気歌番組)を観ていたんです。最初に黒柳徹子さんと久米宏さんが出てきて、久米さんが“きょう甲子園で完全試合がありました”みたいなことを言ったんです。歌番組ですよ。みんな“えっ?”って。そして“俺たちのことじゃねえ?”って。なんかこういう番組でも取り上げられる、やっぱり大変なことなんだと実感しましたね。だから完全試合をしたのは木曜日って、絶対忘れないんですよ」
翌日からもテレビ、新聞含めメディアが朝から宿舎に押し寄せた。4月2日の2回戦までの2日間、練習に行けばテレビカメラ、記者たちの大集団がついてくる。様々な情報がメディアをにぎわせ、前橋高の「偏差値」まで掲載された。
「こんな経験したことないじゃないですか。異様な感じでしたね。偏差値なんて中学生のときのもんじゃん!って」
~2回戦 襲う重圧 足が震えて力が入らない~
「人生の中で一番上がった瞬間でした。頭はスッキリしているのに、足に力が入らない。踏ん張りがきかないというか。こりゃまずいな、と。全国でどれだけの人が観てるんだろうかとか考えてしまった」
異様な2日間”が過ぎ、2回戦、福井商戦を迎える。松本氏は体験したことのない感覚に襲われる。4月2日の第3試合、日曜日ということもありスタンドは5万4000の観衆で埋まっていた。完
全試合男として上がったマウンド。「なんだ、これは」と自分に戸惑った。
精密機械のような制球は乱れ、球威は初戦とは比べものにならない。初回こそ3者凡退に抑え“完全イニング”は10に伸びたが2回、悪夢が待っていた。
2回表、1死から5番・坪田に痛烈な中前打を浴びる。甲子園のスコアボードに点灯する「H」のランプ。これだけで、福井商の応援団は一気に盛り上がり、前橋応援団から深いため息が漏れた。
「打たれるとは思っていましたがまさか・・」松本氏にとって初の走者はナインにとっても同じだった。そこから雪崩のように前橋内野陣の守備が乱れていく。ゴロがアウトにならない。この回5安打に4失策が重なり打者一巡。福井商の選手が7人、ホームベースを踏んだ。
流れはもう引き戻せない。4回には4連打を浴びて3失点。9回も4点。トータル17安打14失点。6失策から崩れた試合はあまりにも無残な結果となった。
「この前ができすぎだったんです。きょうの投球が僕の普通のピッチングでした。(福井商は)打撃が売り物のチームですから7点ぐらいは覚悟していたんですが、1イニングで取られるとは思いませんでした」
~17安打14失点 4日間で「天国」から「地獄」~
淡々と記者の質問に答えた。長い長い9イニングだった。
「他にも投手ができる選手はいたんですが、ほとんど僕一人で投げてきたから、この試合も完投。途中から代えて欲しいと思いましたし、地方の試合だったらコールドゲームでしょ。つらかったなあ」
完全試合で一躍注目を浴びた右腕が今度は14失点(自責点4)の負け投手。学校の計らいで前橋に帰郷する前、京都で一泊した。地元の反響が気になった。
「どうかなと。プラスマイナスゼロくらいか、大敗したから厳しいかなと思っていたんですけど、よくやったといってくれる人が多くて」と温かく迎え入れられた。しかも「(地元の)上毛新聞がストライキやってたのに、赤枠で1面書いてくれたりしたんです」完全試合の偉業は大きな話題として取り上げられた。
この経験は、その後の人生に大きく影響を与えた。「天国にいたものが3日後に地獄を味わった。それも17歳で。こんな経験ないでしょ。だからいろんなことが起こっても“大した問題じゃない”と思ってやってきました」
夏の甲子園は残念ながら群馬大会準決勝で前橋工に敗退した。高校3年生にとっては次にくるのが進学。当初東京六大学を念頭に置いていたが「僕のレベルだと無理かなと思って」と志望を筑波大に変更。そして教員として指導者の道へと舵(かじ)を切った。
~首都大学・筑波大で活躍 母校引き連れセンバツ出場も~
筑波大は首都大学野球連盟に所属。入学した1年は2部にいたが、2年から1部に昇格。秋季リーグ戦からレギュラーに定着。投手を断念し外野手として中軸を任された。1981年春季リーグでは打率4割5厘をマーク。打撃ベストテン2位で、初のベストナインに選出された。大学時代最も印象深いという同年秋の東海大戦。初戦を3―1でものにして迎えた2回戦。翌日が9月15日の敬老の日。もし負けたら祝日も試合となる。この時松本氏は監督に「きょう勝ったら明日は休みにしてもらえますか」と掛け合ったという。「せっかくの祝日。休みたいじゃないですか。OKをもらって集中力が高まりましたね」
後にヤクルトで活躍する高野光(故人)から3回、左中間へ先制の本塁打。6回には2点目となる適時二塁打。東海大の反撃を抑えての連勝。見事休日をゲットした。高校時代、勝てば「マラソン大会休める!」と高めた「集中力」は健在だった。
4年間野球部に在籍し、その後は大学院へ。高校野球で甲子園に出場し偉業を達成。レベルの高い首都大学野球で野手として活躍。高校野球の指導者として下地はできあがりつつあった。
卒業後、1986年群馬中央の監督に就任。翌87年には選手時代届かなかった夏の甲子園の土を踏んだ。
2002年には母校・前橋の監督としてセンバツ出場。いまも故郷・群馬の地で「春の偉業」は語り継がれている。
(スポニチアーカイブス2016年3月号掲載)
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