猪木さん、難病と闘い続け30日深夜に容体急変 ブラジルから駆け付けた弟・啓介さん「苦しまず逝った」
2022年10月02日 04:15
格闘技
猪木さんは2018年に難病「全身性アミロイドーシス」を発症していることを告白し、闘病生活を送っていた。入退院を繰り返しながら外出ができるまで回復。所属事務所は「最近は月1回の仕事を入れていた。10月も仕事の予定があった」と明かし、本人も意欲を見せていたという。
猪木さんは1943年、横浜市生まれ。14歳でブラジルへ渡り、遠征中だった力道山にスカウトされ17歳で日本プロレス入り。60年9月30日、ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たした。その後、日本プロレスから離脱し、72年3月に新日本プロレスを旗揚げした。NWA、AWAの大物レスラーを来日させ「王道」プロレスを貫いた全日本に対し、新日本はストロングスタイルを標榜(ひょうぼう)。タイガーマスクの起用、藤波対長州の日本人対決など斬新な企画で昭和のプロレス黄金期を支えた。さらに76年6月のボクシング、世界ヘビー級王者のムハマド・アリとの「異種格闘技戦」を実現させるなどプロレスの社会的地位向上にも貢献。「元気ですか~」「1、2、3、ダァー!」のフレーズはプロレスファン以外にも幅広く親しまれた。98年4月4日の東京ドーム大会で現役を引退。政治家としては89年に「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め」、「消費税に延髄斬り」をキャッチフレーズに同年の第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選。史上初のレスラー出身の国会議員となった。
最近は動画投稿サイトYouTubeで闘病の様子を配信し、今年6月に新型コロナウイルスに感染したことも明らかにした。8月28日には両国国技館で日本テレビ系「24時間テレビ」に生出演。車いす姿でステージに登場したが、これが公の場での最後の姿となった。
通夜、葬儀は家族葬で営まれ、後日「お別れの会」を執り行う予定。猪木さんは生まれ故郷の横浜市内にある猪木家の墓で父・佐次郎さんらと一緒に眠ることになる。
◆アントニオ猪木(本名猪木寛至=いのき・かんじ)。1943年(昭18)2月20日生まれ、横浜市出身。一家で移住したブラジルで力道山にスカウトされ60年に帰国し、日本プロレス入団。72年新日本プロレス設立。76年ボクシングのムハマド・アリと世紀の対決。89年参院選で初当選。90年湾岸危機の際にイラクを訪問して日本人人質解放に尽力。95年北朝鮮で初のプロレス公演。98年レスラー引退。20年に心臓の病気を患っていることを公表した。
▼全身性アミロイドーシス アミロイドと呼ばれるナイロンに似た異常タンパク質が全身のさまざまな臓器に沈着し、機能障害を生じさせる病気で日本では特定疾患に指定されている。特定の臓器に限局してアミロイドが沈着する限局性とに分かれる。脳にのみアミロイドが沈着する病気の一つがアルツハイマー病。アミロイドが沈着した臓器によって症状は違い、心不全、手足のまひや腎臓の機能障害、不整脈など多岐にわたる。
≪引退試合で朗読「道」は一休和尚の詩≫猪木さんが98年4月、引退試合を終えてリング上で朗読した「道」。「この道を行けばどうなるものか…」と始まる詩で、今でも朗読シーンを記憶に焼き付けているファンは多い。「道」は新日本プロレスの道場訓。当時は東京・上野毛の道場の壁に掲げられていた。猪木さんが考えたものではなく、一休和尚の詩だ。
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