会社員・西満彦さん ひ孫が語る「バロン西伝説」32年ロス五輪・馬術で金メダル 馬で高級車の上をピョン
2024年08月01日 04:45
社会
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満彦さんの元には、東京五輪が開催された21年に、ロサンゼルスにあった竹一愛用の鞭(むち)が戻っていた。五輪に向けた練習で使われ、持ち手の部分に西家の家紋が入った鞭。「その家紋を見た時に“これはひいおじいちゃんが握っていたんだ”と実感が湧いてきて、感動的だった」と振り返った。自身も、進学した米国の大学で馬術を習い、祖父と硫黄島での遺骨収集の活動に参加したこともあった。曽祖父は憧れであり身近な存在だった。
次回28年の五輪はロサンゼルスで開催される。竹一が五輪の頂点に立った場所で、当時の会場には今も名前が刻まれているという。満彦さんには、やりたいことがある。祖父は満彦さんの母を連れ、84年のロス大会で竹一との思い出に浸った。満彦さんは「自分にも2人息子がいる。日本馬術のロスでの活躍を見ながら、私も息子たちにひいおじいちゃんの話をしたい」と力を込める。思いがある限り時代を超え、伝説は紡がれていく。
≪愛馬と深い絆≫竹一の相棒だった愛馬ウラヌスは体の大きい暴れ馬だったが「いわゆる一目ぼれ」(満彦さん)から絆を深め、のちに栄冠を手にした。戦争中も東京に戻れば合いに行き、常にたてがみを胸ポケットに忍ばせていたという。竹一が硫黄島で散った数日後、後を追うようにウラヌスも旅立った。満彦さんは「体はつながっていなくても、心は強くつながっていたのでしょう」と思いをはせた。
▽西竹一の生涯 陸軍騎兵中尉だった竹一は愛馬ウラヌスに騎乗し、4カ国11人がエントリーした1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越個人で金メダルを獲得。約10万人の観衆から大喝采を浴びた。外相も務めた男爵・西徳二郎の三男で、莫大(ばくだい)な遺産と爵位を継いだため「バロン(男爵)西」と呼ばれた。高級外車に乗る派手な私生活でも注目された。45年に硫黄島で42歳で戦死。