相次ぐスポーツ界のパワハラ事件 今こそ「Me Too」の声を

2018年06月16日 10:00

スポーツ

相次ぐスポーツ界のパワハラ事件 今こそ「Me Too」の声を
<全日本選抜レスリング選手権>記者会見を行う栄和人氏(撮影・島崎忠彦) Photo By スポニチ
 【藤山健二の独立独歩】今年に入ってからスポーツ界ではパワハラに該当する事件が次々と表面化している。1月には当時日本レスリング協会の強化本部長だった栄和人氏から繰り返しパワハラを受けたとして伊調馨を指導していた田南部力コーチらが代理人を通じて内閣府に告発状を提出。今月14日になって栄氏は初めて公の場で謝罪した。先月にはバドミントンの強豪、再春館製薬所の元スタッフが元監督から「チーム内恋愛」を理由に現金40万円を払うように脅されたとして熊本県警に告訴。世間を騒がせた日大アメリカンフットボール部員による悪質な反則行為も、広い意味ではパワハラの一例と言っていい。
 強い指導者がスパルタ教育で選手を鍛え上げる。64年の東京五輪に代表される昭和のスポーツ界はそんな指導者像が理想とされ、汗と涙の根性漫画が一世を風靡(ふうび)した。選手は身も心も指導者に捧げ、指導者は「選手のため」に時には暴力も振るう。指導者と選手の間には厳然たる主従関係が存在していた。そう聞くととんでもない指導者のように聞こえるが、当時は誰もがそれを容認し、選手はもちろん世間もむしろ好意的に捉えていた。

 それから半世紀がたち、世の中の価値観は大きく変わった。典型的だったのは11年に女子サッカーのW杯を制したなでしこジャパンだ。選手たちが佐々木則夫監督のことを気軽に「ノリさん」と呼ぶ姿は多くの人を驚かせ、日本のスポーツ界が新しい時代に入ったことを実感させた。

 だが、次々と表面化するパワハラ事件は、絶対的な指導者と服従する選手たちという厳然たる主従関係が今でも存在していることを改めて教えてくれた。海外に比べ、日本では指導者の評価が低いのは事実だ。メダルを獲っても評価されるのは選手だけ。「なんで俺は表彰されないんだ」とぼやく指導者たちの声を、これまで何度も聞いてきた。企業でも学校でもスポーツはあくまでも部活動の一環であり、部の運営や選手指導はほとんどの場合、監督やコーチに一任されている。会社や学校側の関与が薄いため、必然的に部のトップである監督に権限も資金も集中し、おのれの立場を勘違いした一部の指導者たちが悪質なパワハラを繰り返す。それが東京五輪を2年後に控えた今の日本の現状なのだとしたらあまりにも情けない。

 スポーツの指導に携わる者は改めて襟を正し、「アスリートファースト」の原点に立ち返るべきだ。そしてパワハラに悩む選手たちは、今こそ勇気を出して「Me Too」の声を上げて欲しい。その声は必ず日本のスポーツ界を変える原動力になるはずだ。(編集委員)

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