「台形」の中に見たNBAの巨星 偉大な改革者が旅立った2020年
2020年01月05日 08:00
バスケット
今は無くなってしまった私の実家は山の麓にあった。夜は真っ暗になり、冬になると乾燥した空気の影響で無数の星がきれいに見えた。高校バスケ部での練習を終え、1時間をかけて家にたどりつくと玄関の前でよく空を見上げた。そこにあったのは満天の星。すべては太陽と同じ恒星で、その数の多さに圧倒され、自分の存在の小ささを確認する日々だった。一度だけ未確認飛行物体(UFO)も目撃。誰にも信じてもらえないので、その高揚感は心の中に閉じ込めたままだった。
晴れていれば毎日出会えたのが冬を代表するオリオン座。ただ私には普通の人とは違う形で見えた。ちょっとだけ歪んだ「台形」だった。右下の隅っこにあるリゲルはベースライン上、左斜め上で赤く点滅しているベテルギウスはフリースロー・ライン上に位置取っている2つの1等星。真ん中に3つある2等星(トライスター)はペイント内でリバウンドを争っている3人に見えた。左サイドのローポストに立っているのはウルトラマンの故郷とも言われているM78星雲。もしかしたら昭和のヒーローを生んだ「光の国」かもしれぬその白いシミのような部分に、幼いころの記憶を重ねた。
NBAウィザーズの八村塁選手(21)がジャンプシュートを放つ際に得意のエリアとしているように見えるのがベテルギウス・ポジション。しかし今、その赤い星に異変が起こっている。
米ビラノバ大のエドワード・ガイナン教授によれば、変光星でもあるベテルギウスがここ数カ月の間に急激に明るさを失っているのだと言う。現時点での明るさは通常の4割ほど。つまりそれは星の命の最終局面でもある超新星爆発に向かっている段階ではないかと言うのだ。地球からベテルギウスまでは642光年。仮に爆発していたとしてもそれは地球時間では14世紀、日本では室町時代に起こった出来事ということになるが、もしかしたら我々は歴史的な天体ショーを目撃できる数少ない“地球人”になる可能性がある。
ベテルギウスは巨大な星だ。もし太陽のポジションに立つと木星までの軌道を包み込んでしまうので地球など存在しないことになる。その巨星の終焉。私が見た夜空の「輝く制限区域」はいつまで存在するのだろうか?
ガイナン教授が論文を発表した4日後、1984年から30年間にわたってNBAのコミッショナーを務めたデビッド・スターン氏が脳出血で倒れて緊急手術を受けた。しかし家族に看取られて1日に死去。77歳だった。NBAの顧問弁護士から組織の頂点に立ち、それまで北米4大スポーツの中で後塵を拝していたリーグをトップレベルに押し上げた。
リーグの大改革を敢行した人だった。薬物規定、年俸制限制度(サラリーキャップ)、インターネットの公式サイトによる試合結果の速報などを次々に導入。「前例がありませんので…」ということは最後まで口にしなかった。コミッショナー在位30年の間に7チームが新たに誕生し、女子のプロリーグ(WNBA)やNBAの下部リーグ(現Gリーグ)などを創設。米国内での選手の受け皿も整えた。
日本を含めた海外での公式戦も実現させ、200以上の国と地域でNBAの試合中継を可能にするなどリーグのグローバル化にも成功。リーグの年間収入はすでに50億ドル(約5500億円)以上に達し、選手の平均年俸は北米4大スポーツの中でトップとなる770万ドル(約8億4000万円=2019年シーズン)となった。なぜドラフト全体9番目に指名された八村選手の“初任給”が日本のスポーツ界では考えられない446万9160ドル(約4億8000万円)になるのか?その答えを求めていくと、スターン元コミッショナーにたどり着く。
コミッショナーに昇格した1984年のドラフトでブルズに指名されたマイケル・ジョーダン氏(56=現ホーネッツ・オーナー)は「デビッド・スターンという人間なくして今のNBAはない。ほとんどの人が想像していなかった今がここにある。私を成功に導いてくれたのは彼の確かな視野と指導力とバスケへの愛があったからだ」と語ったが、“バスケの神”でさえ、自分の上にもう1人がいることを痛感していた。
1994年11月5日。日本の横浜アリーナで開催されたNBAの開幕戦(トレイルブレイザーズ対クリッパーズ)の第2戦終了後、私はスターン・コミッショナーに単独取材ができる15分間を与えられた。インタビューの内容は覚えていないが、質問を英訳するのに手間取っていた苦い記憶は残っている。つたない英語だった思う。それでもNBAという巨大な組織のトップにいたリーダーは、初対面の記者に対してその質問の本当の英訳が何かを見極めながらすべて答えてくれた。
あれから四半世紀が経過。八村選手の恵まれたサラリーのルーツがスターン・コミッショナーにあるように、私がこのような仕事で食っていけるのも実は偉大な改革者が光輝いて、世界の注目を浴び続けるような組織にしてくれたおかげだ。2度にわたるロックアウト(労使紛争)では批判を浴びたりもしたが、ネガティブな部分よりポジティブな部分がはるかに上回った人だった。
実家の山の麓でオリオン座を見ることはできなくなった。今は東京・下町の大きな公園で夜空を見上げている。東京の夜は明るすぎてウルトラマンの故郷は見えない。でもリバウンドを争う3人と赤い星は確認できる。もし今、超新星爆発によって昼間でも空全体が赤く輝くなら、「台形」の一部でもあるべテルギウスはスターン氏の化身であり、NBAにとっては「光の国」ではなかったか…。
2020年1月1日。「巨星墜つ」の実感をかみしめて、小さな小さな私の1年が始まった。夜空に輝くオリオン座。3秒間だけでも結構。「台形」に見える人がいたら、NBAを生き抜いた人の顔を少しだけ思い浮かべてほしい。トライスターの1つのはウィザーズの背番号8?星に願いを寄せると、たぶん宇宙観も変わっていくはずだ。
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。
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