高橋大輔「絶対に裏切らないって思えた」 大ケガからの復帰支えた長光コーチの言葉とは…

2022年03月05日 22:38

フィギュアスケート

高橋大輔「絶対に裏切らないって思えた」 大ケガからの復帰支えた長光コーチの言葉とは…
<2010年バンクーバー五輪・フィギュア男子SP>90点台の高得点にガッツポーズの高橋大輔。右は長光歌子コーチ Photo By スポニチ
 2010年バンクーバー五輪の男子フィギュアスケートで銅メダルを獲得した高橋大輔(35)が5日放送のTBS「炎の体育会TV」(後6・51)にVTR出演。逆境へ立ち向かう人たちへ「ちょっとは怠けましょう。真っすぐ行くより、グネグネ行った方が結果的にいいモノをたくさん拾える気がします」と熱いメッセージを送った。
 高橋は08年10月の練習中に右ひざ前十字じん帯断裂の大ケガを負い、手術は無事に成功するもリハビリの途中で突如ヤル気を失ってしまい、病院も抜け出し音信不通に。10日間ほど“行方不明”となるほど精神的に追い込まれたが、信頼する長光コーチの言葉に救われリハビリを再開。無事に回復し、10年バンクーバー五輪では当時日本男子初のメダル獲得という快挙を達成した。

 高橋はリハビリ当時の心境について「自分を追い込みすぎて一回線が切れてしまった。絶対復活劇を作ってやるみたいな気持ちがあったんですが、その自分にかけた言葉のプレッシャーに負けてしまった」とコメント。病院を抜け出し“行方不明”になったことに関しては「もう無理ですって言って(誰にも行く先を言わず)逃避行しました。毎日空いてるホテルを探して色んなホテルを転々として、とりあえずフラフラ歩いて泊まって…途中で何してんだろうと思いまして、病院の先生にも迷惑かけているし、このままじゃダメだと思って、しれっと家に帰った」と明かした。

 高橋が帰ったのは当時、下宿していた長光コーチの家だったとしコーチからは「良かった。とりあえず生きてて。五輪は無理なら無理でいいよ。私が壁になってあげるから、やめるならやめなさい」と声をかけてもらったという。この言葉を聞いた高橋は「守られたなと感じて、スッと肩の力が抜けて次に向かうことができた。指導者でもあり母でもあり、本当に一番信頼の置ける人。この人は絶対に裏切らないって思えた」とこの“逃亡騒動”のおかげでコーチとの間に絶対的な信頼関係が築けたと説明した。

 その後、無事にスケートリンクへと戻ってきた高橋だったが「マジで滑るのが怖かったです。生まれたての子鹿みたいに足プルプルしてました。コケてしまってまた(じん帯が)切れたら…っていう怖さ」と練習復帰直後の心境について赤裸々に語った。

 2大会連続出場となったバンクーバー五輪では男子SPで3位発進。フリーでは4回転ジャンプで転倒してしまうも「4回転は練習中全然決まらなかったので、その後を完璧に決める練習をしていた」と華麗なステップワークを披露し日本男子初の快挙を達成。

 選手生命を脅かすほどの大ケガから大逆転劇を見事に演じ、この先逆境へ立ち向かう人達へ向け「(力は)抜いていいと思います。ちょっとは怠けましょう。真っすぐ行くより、グネグネ行った方が結果的にいいモノをたくさん拾える気がします」とメッセージを伝えた。

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