日大アメフト廃部 日本一21度の超名門が薬物問題で83年の歴史に幕 ライバル関学大・小野D「衝撃」

2023年11月30日 04:30

アメフト

日大アメフト廃部 日本一21度の超名門が薬物問題で83年の歴史に幕 ライバル関学大・小野D「衝撃」
<日大・関学大>甲子園ボウルを制し喜ぶ日大フェニックスの選手たち(2017年12月17日撮影) Photo By スポニチ
 日大は29日、違法薬物事件で部員に3人の逮捕者が出ているアメリカンフットボール部を廃部にする方針を明らかにした。同部は大学王者を決める甲子園ボウルで21度の優勝を誇る強豪校だが、18年に「悪質タックル」が社会問題化。新体制で出直したが、再び不祥事を起こし、創部から83年の歴史に幕を閉じることになった。
 重い決断が下された。廃部は28日の「競技スポーツ運営委員会」で決定。沢田康広副学長から通達された中村敏英監督が部員と保護者に連絡した。多くの部員は強いショックを受けているという。

 3人目の逮捕者がでるなど風当たりが強まる中、日大は厳正な対処を迫られた。文部科学省への再発防止策の提出は11月いっぱい。理事の一人は「ほとんどの部員は大麻と無関係で、真面目にやっている部員がかわいそう」と薬物を使用した部員や監督責任がある中村監督の処分にとどめたい考えだった。だが提出までに体裁を整えるためにも、廃部という大なたを振るわざるを得なかったようだ。

 伝統を誇る同部を消滅させる措置には賛否両論が巻き起こった。大学王者を決める「甲子園ボウル」で30度も対戦するなど長くライバル関係にある関学大アメフト部の小野宏ディレクターは廃部報道を受けてコメントを発表。「残念という言葉で表せないほどの衝撃を受けている」とした上で「問題の事案に関わっていない学生までもが連帯責任のようにして結果的に罰を受け、活躍の場を奪われることに強い疑問を感じる」と問題提起した。一方で18年に「悪質タックル」が起きた際に監督だった日大アメフト部OBの内田正人氏は「無理もない。薬物はそれくらい難しい問題」と理解を示した。

 大きな課題は現部員や来春入学予定の新入部員の処遇だ。競技を続行できるのかどうかをはじめ、今後の動向は不透明。新入部員は日大が他大学に移る支援もするという。ただ入学まで残された時間は少なく、一筋縄ではいかない。関係者によると、部員の一部からはアメフト同好会からの出直しを希望する声が上がっており、日大には来春にも同好会として活動再開する青写真を描く幹部もいる。この日からネット上で廃部撤回を求める署名活動が始まった。「大学スポーツ界の雄」が迎えた最悪の結末。衝撃の余波はさらに広がりそうだ。

≪日大アメフト部の歩み≫
 ▼1940年 創部。赤がチームカラーで愛称「フェニックス(不死鳥)」。

 ▼55年 後に監督になる篠竹幹夫氏が4年時に関東初制覇。学生王者を決める甲子園ボウルでは宿敵・関学大と初対決で引き分け、両校優勝。

 ▼57年 初の甲子園ボウル単独優勝。

 ▼59年 篠竹氏が監督就任。特徴的なパス攻撃「ショットガン隊形」を導入し、黄金期を築いた。03年まで在任44年間で17度の学生王座。

 ▼85年 社会人代表と対戦していた日本選手権「ライスボウル」で初優勝。

 ▼89年 ライスボウルで91年まで3連覇。計4度の優勝となった。

 ▼2003年 内田正人氏が監督就任。

 ▼17年 27年ぶりに甲子園ボウルを制した。21度目の優勝で名門復活といわれたが、これが最後の学生王者。

 ▼18年 関学大との定期戦で「悪質タックル」が社会問題化。公式試合が出場停止となり、関東1部下位リーグに降格。内田監督とコーチは懲戒解雇処分。公募で橋詰功監督が就任。

 ▼20年 関東1部上位リーグに復帰し、甲子園ボウルに出場。

 ▼21年 中村敏英監督が就任。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2023年11月30日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム