師匠・高見山 曙太郎さんと悲しみの別れ「もう少し頑張ってほしかった」

2024年04月15日 04:45

相撲

師匠・高見山 曙太郎さんと悲しみの別れ「もう少し頑張ってほしかった」
葬儀に参列した元関脇高見山の渡辺大五郎さん(中央) Photo By 共同
 大相撲の元横綱・曙で、今月上旬に心不全のため死去した曙太郎さん(享年54)の葬儀が14日、東京都内の斎場で営まれ、初土俵が同期の花田虎上(まさる)氏(53=元横綱・3代目若乃花)や浅香山親方(51=元大関・魁皇)、同じ米ハワイ出身で師匠だった元関脇・高見山の渡辺大五郎さん(79)ら約300人が参列した。渡辺さんは11回の優勝が一番の思い出と明かし、元弟子の早すぎる死を悼んだ。
平成の相撲ブームを支えた横綱との最後の別れに、湿った雰囲気はまるでなかった。斎場内では民族衣装をまとった女性がフラダンスを踊りながら歌を披露。参列者の表情も笑顔があふれていた。関係者によると曙さんの遺言が「明るく送り出してほしい」だったと明かし「ハワイと日本のスタイルを合わせた感じでした」と説明した。

 棺には出身地のハワイ州の旗がかけられ、曙さんは大好きな緑のアロハシャツ姿。祭壇の中央には横綱時代に浴衣姿で笑っている遺影、両隣に10回目の優勝を果たした00年名古屋場所、11回目の最後の優勝となった同九州場所の優勝額が飾られた。

 クリスティーン・麗子夫人は棺にはこの日参列者が身に着けていたレイや花を入れて出棺すると明かした。亡くなった時の様子について「不整脈を患っていました。急に(心臓が)止まった。誕生日(5月8日)まで頑張ってほしかった」と述懐。それでも「子供の成長も見られたので…。遺影の写真も笑顔が素敵」と気丈に振る舞った。

 入門時の師匠(先々代東関親方)だった渡辺大五郎さんは両手につえをつきながら参列し目を潤ませながら無念の思いを口にした。「残念、まだ若いし、もう少し頑張ってほしかった」。一番の思い出は11回の優勝と話し「まさかそこまで勝つとは…」と笑顔ものぞかせた。

 スカウトする際の裏話も明かし「本当は(曙さんの)弟が第1希望だった」。弟は全くなじめずにすぐに帰国したが、曙さんは外国出身初の横綱になった。「頭はいい。真面目。運動神経も良かったので相撲にも適応できた」と最大級の賛辞を贈った。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2024年04月15日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム