【京都】「逆境は人を育てる」神前監督の信念が実った――グラウンド崩落事故の京都共栄

2019年07月13日 21:55

野球

【京都】「逆境は人を育てる」神前監督の信念が実った――グラウンド崩落事故の京都共栄
3月4日の斜面崩壊後、今も復旧していない京都共栄のグラウンド Photo By スポニチ
 【第101回全国高校野球選手権京都大会 2回戦   京都共栄5―2鳥羽 ( 2019年7月13日    あやべ )】 降りしきる雨のなか、京都共栄の選手たちが雄叫びをあげた。春の京都府大会4強のシード校・鳥羽を破ったのだ。
 試合後の整列。ベンチを出た神前俊彦監督(63)は口もとを引き締め、勝利をかみ締めていた。

 「いやあ、たまたまです。年の功ですよ」と笑う。63歳は京都の監督では最年長だそうだ。

 1982(昭和57)年、大阪府立の母校、春日丘を率い、甲子園出場を果たした。同年春の選抜優勝校・PL学園など強豪を連破しての進撃で話題を呼んだ。『やればできるぞ甲子園』(徳間書店)の著書がある。当時26歳だった。

 春日丘監督を2014年12月に退き、母校・関学大コーチなどを経て、還暦60歳となった2016年5月、京都・福知山市にある京都共栄の監督に就いた。この夏は初めて、選手全員が入学時から面倒をみてきたことになる。

 勝負の思いでいた今春3月4日、早朝5時、とんでもないことが起きた。盛り土で造られた学校グラウンドの法面(のりめん)が崩れ落ちたのだ。周辺住民は避難し、危険なため、グラウンドは立ち入り禁止となった。

 その日のミーティングで「逆境は人を育てる」「ネバー・ギブアップ」と話した。春日丘時代、「人、物、時間、金、グラウンド……とないないづくしだった」と言う神前監督の真骨頂だ。

 徐々にグラウンド立ち入りは解除されたが、今でも崩落した状態は変わらない。フリー打撃はおろか、キャッチボールすら全員同時にはできず、長方形の打撃ケージ内で順番に行っている。
 この日の勝利後、「ああいう災難を乗り越えようとする覚悟が生きたんだ」と話した。「文句や不平を言うな」と言い聞かせ、日々、工夫してきた練習が生きた。

 まず、雨の中でも、誰ひとり不平は言わなかった。手狭なグラウンドでの練習に比べれば、立派な球場でできる野球は気持ちが良かった。

 4回裏2死二塁で右翼線ライナー性飛球を中川翔貴(3年)が、5回裏1死では左翼フェンス際大飛球を大槻直人(3年)が好捕し、ピンチを救った。グラウンドでは外野ノックなどできない。外野手は5メートルほど手前から前後左右に投げる飛球を素手で捕る練習を繰り返したそうだ。「ペッパーと言って、あの練習で球際の強さを養った」と神前監督は言う。工夫である。

 打線は実に12個の四死球を得た。相手3投手の制球難ではなく、もぎ取ったのだ。この日試合前、母校の打撃ケージのピッチングマシンを相手に、打つのではなく「外角低めのボール球を見極める」と選球の目ならしを行っていたそうだ。

 投手陣は背番号1のエース、右腕・本城風己(3年)が初回2失点で不調とみるや、2回からやや横手から投げる永川(えがわ)聖人(3年)に代えて好投。7回裏2死一、三塁で左打ちの3番打者を迎えると、左腕・丸山虎之介(2年)をつぎ込んで、逃げ切った。
 安打は単打ばかりの6本で、相手の7本(うち長打3本)より少ない。それでもバントを多用して、記録上は7犠打。他にもセーフティ気味のバントもあった。得意の球転がし作戦で相手投手・守備陣に重圧をかけた。

 さらに、神前監督は試合前、選手たちを暗示にかけていた。「予祝」と言われる前祝いである。

 朝、母校に集まった際、選手たちに「今日はよく粘って、よくがんばった。ありがとう!」と言った。すでに勝った気持ちで語った言葉だが、予祝の効果は抜群。実際の試合でも粘り勝ったのである。

 逆境を力に換える“神前マジック”の今後が楽しみになってきた。(内田 雅也)

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