×

【内田雅也の追球】去りゆく監督の日本一

2024年10月07日 08:00

野球

【内田雅也の追球】去りゆく監督の日本一
練習を見守る阪神・岡田監督(撮影・大森 寛明) Photo By スポニチ
 長いプロ野球の歴史のなかで、監督の退任が決まっていたチームが日本一となった前例は2度しかない。1954(昭和29)年の中日(監督・天知俊一)と2014年のソフトバンク(監督・秋山幸二)である。
 54年の中日は監督・天知が開幕前「ロウソクの火みたいに消えかかっているけれども、パーッと燃えて、この1年で消えて死ぬ気でやります」と宣言した。本社、球団幹部をはじめ、選手たちもいる前である。フロントとの不仲が伝えられていた。『戦後プロ野球史発掘』(恒文社)にある。

 杉下茂の活躍もあってリーグ優勝し日本シリーズでも西鉄(現西武)を4勝3敗で破った。天知は「場内一周するとき、バカヤロウ、バカヤロウと言って回った」。名物野球記者、大和球士が「あんなにおいおい泣いた監督、選手を見たことがない」と証言している。

 14年のソフトバンク。秋山幸二の後を継いで監督に就いた工藤公康が本紙『我が道』で書いていた。<秋、王貞治球団会長から「一度会いたい」という連絡をいただいた。ホークスは後にシーズン優勝を決めるのだが、その時点で秋山監督の電撃的な辞任が決まっていた>。監督要請を受諾。ソフトバンクは日本シリーズでクライマックスシリーズ(CS)を勝ち上がった阪神を破り、日本一となった。

 以上2例だ。反対に監督の退任内定チームがポストシーズンゲームで敗れた例はいくらもある。

 阪神で言えば、岡田彰布が前回監督だった08年、13ゲーム差を巨人に逆転され、リーグ優勝を逃し、辞意を表明。臨んだCSではファーストステージで中日に敗れた。

 15年の和田豊も退任内定後のCSファーストステージで巨人に敗退。キャンプイン前に今季限りで辞任を表明していた22年の矢野燿大もCSファイナルステージでヤクルトに3連敗して散った。

 阪神が日本一となった85年日本シリーズで敗れた西武監督・広岡達朗について、阪神監督・吉田義男は「どこか寂しそうだった」と話していた。

 前例を見返しても、日本一となった例と逃した例の差は分からない。

 今季限りで退任する岡田はこの日、甲子園での練習前、コーチ、選手たちにその意志を伝え、「もう一度勝ちにいく」と宣言した。機運を高めて臨みたい。挑むのは、去りゆく監督の下で果たす、史上3例目の日本一である。 =敬称略= (編集委員)

おすすめテーマ

野球の2024年10月07日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム