萩野 400メートル個メ銅メダル!フェルプスに勝った
2012年07月30日 06:00
五輪
無我夢中でタッチした。「死にものぐるいで泳ぎました。3番か4番か分からなかった。電光掲示板を見て(観客席の)日本チームのみんなが喜んでいるのを見て3番に入ったと確信した」。17歳の萩野が日本競泳陣のメダル1号に輝いた。
最初のバタフライは6位だった。得意の背泳ぎでロクテに次ぐ2位に浮上。平泳ぎでペレイラに抜かれたが、最後の自由形では北京五輪8冠の怪物フェルプスと競り合い、逃げ切った。自宅の部屋にポスターを張って憧れてきた選手に勝った喜びを「フェルプスは本調子ではないと思うけれど、それでも勝ててうれしい」と控えめに語った。
日本記録を出した予選から1秒以上も縮めた。「思ったほど緊張しなかった。楽しかったです」。初めての大舞台で強心臓ぶりを発揮した。
小学生の時、10個の学童記録を作った。小3から指導する御幸ケ原SSの前田覚コーチ(40)は「フォームはきれいで持久力もある。水泳をするために生まれてきたと思った」と評する。地元では「金メダルに一番近い小学生」と騒がれた。高1でパンパシフィック選手権代表入り。「天才スイマー」の名を欲しいままにした。だが萩野には「天才」と呼ばれることに反発があった。
「僕が思う天才は練習しなくてもタイムを出す選手。けっこう大変な練習をしてきた」。小4の頃、目標タイムに届かず、母・貴子さん(48)によく怒られた。奮い立つことを期待する母の思いとは裏腹にプール脇の廊下で泣いていた。貴子さんは「優しい子。勝負に向かない性格だと思っていた」と言う。それでも栃木県小山市の自宅から宇都宮市のプールまで片道1時間をかけて通い、1日2回計5時間以上の練習に励んだ。
ケガや病気にも打ち勝った。中2の時には肉離れと半月板損傷に悩まされ、約2カ月間泳げない時期もあった。昨年4月、浜松市で開かれた世界選手権代表選考会では、前夜になって高熱と下痢で救急車で運ばれた。
今大会前、北島以来の男子高校生代表として注目を集めたが、その北島もできなかった高校生でのメダル獲得。「こんな僕が獲っちゃっていいのかなって思いますけど、まだ3番。1番じゃない。これから先も上を目指して頑張ります」。リオデジャネイロ五輪の金メダル候補に急浮上。競泳界に新たなスターが誕生した。