森保監督 「悲劇」を「歓喜」に 選手として味わった「ドーハ」での苦渋 指揮官として塗り替える

2022年01月02日 05:30

サッカー

森保監督 「悲劇」を「歓喜」に 選手として味わった「ドーハ」での苦渋 指揮官として塗り替える
W杯トロフィのレプリカを掲げる森保一日本代表監督(撮影・篠原岳夫) Photo By スポニチ
 サッカー日本代表を率いる森保一監督(53)が新春インタビューに応じ、W杯イヤーへの抱負を語った。厳しいアジア最終予選を勝ち抜いた先に待つ冬開催(11、12月)のW杯カタール大会。予選から本大会まで導く初の日本人指揮官として、縁の深いドーハの地で日本の歴史を「悲劇」から「歓喜」に塗り替える。
 W杯イヤーをどんな漢字で表す年にしたいか。森保監督は少し思案し「喜」と答えた。

 「最終予選を勝ち抜いて、本大会では日本歴代最高の成績(8強以上)をつかみ取ることを掲げている。W杯が終わった日に、日本サッカーに関わる全ての皆さんと“喜”びを分かち合える結果を出せればなと思います」

 予選からW杯まで一貫して指揮すれば、日本人指揮官では初めて。98年フランス大会と10年南アフリカ大会の岡田武史氏も、18年ロシア大会の西野朗氏も途中からだった。指導者の未来も背負う。

 「監督として日本代表の戦いで結果を出すことが次の日本人監督の人たちにつながっていく。日本人がまた監督を続けてもらえるように、非常に大きな責任を背負っている」

 昨夏の東京五輪。短時間の準備で高い完成度誇った準優勝のスペインを見て痛感した。

 「世界の強豪を見たときに、どの国にも“その国の戦い方”がある。五輪だから、欧州選手権だから、W杯だから新しい戦術を一から始めるのではなく、ベースがあり、対戦相手や状況でマイナーチェンジし、判断して戦っている。日本にはそこは足りない」

 日本協会は50年までのW杯優勝を目標に明示。なればこそ「速攻」など日本らしいプレーモデルの構築も在任中の使命だと感じる。

 「日本人らしいサッカーを考えて仕組み作りができればと思っている。監督が代わったらチームカラーが変わるのではなく。同じポジションで求められる役割やコンセプトを、まずは他のカテゴリーの代表監督と共有できればと考えている」

 W杯開催地のドーハでは93年に選手としてW杯初出場を逃す「悲劇」を経験した。同じ地で監督としてW杯を率いるのも運命的だ。

 「ドーハで“歓喜”に変えられるように、まずは予選をしっかり戦って出場したい。日本のサッカーが成長したと世界中の人に思ってもらえるように、日本のサッカーに関わる人が日本のサッカーに誇りを持ってもらえる結果を出したい」

 初出場の98年から数えて22年は50年までの折り返し地点。日本人の森保監督が、歴史をつなぎ、変える。(波多野 詩菜)

 ◇森保 一(もりやす・はじめ)1968年(昭43)8月23日生まれ、長崎市出身の53歳。長崎日大高から広島の前身であるマツダに加入。現役時代は広島、京都、仙台でプレーし、04年1月に現役を引退した。U―20日本代表コーチ、広島コーチなどを経て、12年に広島監督に就任。J1で3度の優勝に導いた。18年W杯ロシア大会ではコーチを務めた。日本人で初めて五輪代表とA代表を兼任し、昨夏の東京五輪代はベスト4。A代表は18年7月から率いる。

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