【特別連載企画】「はじめくんは持っている」森保監督と幼なじみだからこそ確信する「W杯ベスト8」
2022年11月09日 04:30
サッカー
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森保監督は少年時代の自身を「お山の大将」と表現したことがある。樋口さんの解釈は少し異なる。「ガキ大将的な感じはあったかなと思うんですけど、後輩の面倒を見るのがめちゃくちゃうまかったですね」。後輩を思うあまり、“武闘派”な一面をのぞかせることもあった。
長崎日大高時代、他校との試合で後輩が削られたときのこと。審判の樋口さんが反則を取っていると「10メートルくらい後ろから走ってきて、(削った人に)跳び膝蹴りした」という。今の姿からは想像もつかないが、正義感が強く、負けず嫌いな一面だった。
野球少年だった2人がサッカーに出合ったのは、小6、小5のとき。土井首サッカークラブで始めてほどなく全国少年大会への出場が決まり、森保監督はGKとして参加した。進学した深堀中学校にはサッカー部がなかったため、指揮官の父らが中心となって学校に掛け合い、中2で創部が実現した。
グラウンドはなく、三菱重工長崎の敷地内の駐車場を使い、メニューも自分たちで考えた。「小学校で習っていたものをそのまましていた。パスしてシュート練習して3対2してとかですね。最後はダッシュで100メートルを10本走った」。やがて強豪のいる地区で優勝するまでになった。
高校は長崎日大に入学。腕を骨折してもギプスの石こうを溶かして試合に出た話は有名だが、実は溶かしたのは樋口さんら後輩2人だった。「お湯を沸かして、はさみで切って、段ボールで固めた」。地元の整形外科医からは「もう知らん」とさじを投げられたという。
キャプテンではないが、いつも一目置かれる存在だった。「高校のときは、キャプテンよりも下のみんなから慕われていた。はじめくんの言うことを聞いとくか、みたいな」。当時マツダの強化部長だった今西和男氏が、かのハンス・オフト氏を連れて森保監督を視察したときも、樋口さんはその場にいた。
「うちのグラウンドに来て、いきなりペナルティーエリアの外からボールを3、4球くらい蹴った。そしたら全部ゴールポストに当たったんです。なんやこのおっさん、と。そしたら通訳を介して“こういうことができないとプロにはなれない”と言ったんです」。その後、森保監督はマツダ入り。オフト氏の下で日本代表まで駆け上がった。
森保監督50歳の誕生日の18年夏、樋口さんは会社勤めを辞め「立ち飲み ぽいち」を開店した。指揮官の“強運”に懸けたからだった。「サンフレッチェの監督になってまさか1年目で(優勝する)と思わなかったし、あれで店をしようかなと決めた。この人、持っとるわと」。
1993年、ドーハの悲劇の瞬間は、森保監督の両親や夫人と一緒にテレビで観戦していた。29年がたち、兄貴分は日本代表の監督として、再びドーハの地に立つことになった。「個人的には、必ずベスト8に行けると信じています」。人生を切り開く力と人柄を深く知る樋口さんだからこそ、2度目のドーハには明るい未来があると信じられる。
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