【阪神大震災29年】J1神戸・吉田監督「希望の存在になることがクラブの存在意義」

2024年01月17日 06:00

サッカー

【阪神大震災29年】J1神戸・吉田監督「希望の存在になることがクラブの存在意義」
昨年11月、リーグ初優勝してシャーレを掲げる神戸・吉田監督(左)
 1995年1月17日に発生した阪神大震災から、きょう17日で29年になる。今年の元日には能登半島を震源とする大地震が起こった。兵庫県出身のJ1神戸・吉田孝行監督(46)は北陸の被災地へエールを送った。
 あの日の出来事は鮮明に覚えている。吉田監督は当時、兵庫県川西市の自宅で身支度をしていた。現在のように携帯電話は普及していない。滝川二へ通学しようとしたが、電車は全て止まっていた。「数時間たってテレビがついた瞬間、神戸が大変なことになっていた」。言葉を失った。

 横浜、大分を経て08年に神戸に移籍した。その3年後に東日本大震災が発生した。「神戸は震災と切っても切れないクラブ」。募金活動やオークションをし、集めたお金を被災地に送った。そして阪神大震災から20年がたった15年1月17日には自らが発起人となってチャリティーマッチも開催した。

 「神戸の街は復興していたけど、阪神大震災を風化させてはいけないと思った。起きてほしくないけど、震災は起こり得る。その時に備えた防災の必要性もメッセージも込めてやらせていただいた」。名波浩や中田英寿らそうそうたるメンバーが集まった。

 昨年クラブ初のリーグ優勝へ導いた。「応援してくれる方の希望の存在になることがクラブの存在意義でもある」。元日には能登半島で地震があった。多くの犠牲者が出て、今も被災地で苦しむ人がいる。「クラブとしてできることがあればやっていきたい」。これからも神戸は震災とともに歩んでいく。 (飯間 健)

 ◇吉田 孝行(よしだ・たかゆき)1977年(昭52)3月14日生まれ、兵庫県川西市出身の46歳。滝川二を経て95年に横浜F入団。横浜F消滅後は横浜、大分、神戸でプレーし13年に引退。17年8月、神戸の監督に就任。18年9月退任。19年4月に再度、監督就任したが、同年6月退任。J2長崎のコーチや監督を経て22年に神戸強化部スタッフで復帰。同年6月に3度目の監督就任。J1通算356試合53得点。家族は夫人と娘。

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