“さらば天才”武藤 蝶野ら戦友の必殺技繰り出した!禁断のムーンサルトは2度試みるも封印…現役生活に幕
2023年02月22日 04:40
格闘技
まさかの「おかわりタイム」。涙うるうるの観衆がどよめき、蝶野が放送席からつえをつきながらリングに向かう。タイガー服部がレフェリーを務め、番外編が幕を開けた。蝶野がケンカキックからSTF。たまらず武藤がギブアップした。引退の日に2敗は前代未聞。それでも「デビュー戦一緒にやって、締めくくりは蝶野にしたかったんだ。よくあいつあそこまで動けたよ、たいしたもんだ」と笑みをこぼした。
「プロレスはゴールのないマラソン」。生涯現役を誓った男にとって、引退は苦渋の決断だった。ムーンサルトプレスなどを多用した結果、人工関節手術を受け、昨年6月に引退を表明。先月22日には両脚肉離れで全治6週間と診断された。試合前のバックステージでは付け人の助けを借りて車いす移動。それでも「レスラーというのはヒーローじゃなきゃいけない。超人的なものを見せなきゃいけない」と最高の作品を用意していた。
蝶野の「STF」、橋本真也の「ケサ斬り」から「DDT」、そして三沢光晴の「エメラルドフロウジョン」。引退試合ができなかった盟友やライバルの技を繰り出したのはプロレスへのオマージュだ。禁断の「ムーンサルトプレス」は2度試みたが、跳ぶことはできず、最後は内藤のデスティーノの前に沈んだ。
昨年10月にアントニオ猪木さんが死去し、プロレスリングマスターも引退。ひとつの時代が終わりを告げた。だからこそ、武藤は自身と同じにおいを漂わせる内藤を介錯(かいしゃく)役に指名。「もし、このあとプロレスビジネスが落ちたらあいつのせいですよ。観察しておきます」と、独特の言い回しで叱咤(しった)激励した。
プロレスラーは強いだけでは務まらない。その生きざまやドラマが、どれだけ人々を感動させるか。武藤はその信念を貫いたからこそ、ファンに愛され昭和、平成、令和を走り抜いた。「明日から何やればいいんだ。オレ」とぼやきながら、今、新たな作品の構想を練っているのかもしれない。
◆武藤 敬司(むとう・けいじ)1962年(昭37)12月23日生まれ、山梨県富士吉田市出身の60歳。1984年4月、新日本プロレスに入門。同期の蝶野正洋、橋本真也と「闘魂三銃士」と称され、団体のエースに。その後全日本、WRESTLE―1、ノアで活躍。メジャー3団体のシングル、タッグは完全制覇した。1メートル88、110キロ。得意技はシャイニング・ウィザード、足4の字固め。家族は久恵夫人と1男1女。