阿部詩 パリ五輪以外にもあった人生のピンチ「涙がずっと出続けて」 母の取った驚きの行動とは
2024年10月23日 21:10
芸能
練習は嫌いだったが、柔道のセンスはあったようで、小2の時に地区優勝。兄より先に頭角を現したという。父からは練習の時に、未来の目標を口に出して話すよう求められ、練習の目的を理解したり、成功した姿を想像できるようになったという。
練習は過酷だった。「小学校高学年のころから、高校生の練習に連れて行かれていた。4、5時間練習するんです。2時間くらい走ってから、4時間くらい柔道の練習を…」。学校がある日でも4時間は練習しておたといい、「本当に嫌でした。柔道を作った人を1回、恨もうかと…」と、本気とも冗談ともつかぬ言葉を口にした。それでも、柔道をやめる気には「ならなかったですね」といい、「反抗する気力もなかったです。家に帰って」と理由を説明。スタジオをザワつかせた。
国際大会で数々の実績を残し、日体大へ進学。しかし、たった1週間で心に異変が起きたという。「お風呂場で泣いたら、涙が止まらなくなっちゃって。何回もシャワーで流すんですけど、涙がずっと出続けて、どうしようと思った時に、心配かけるからあんま電話したらダメと思っていたんですけど、どうしても電話かけちゃって」。実家の母に電話したという。
詩を案じた母からの連絡を受け、既に東京で寮に住んでいた一二三が詩の元へ。一二三は「“詩が泣いてやばいから行ったって”って。夜中までやってるカフェがあるんですけど。同級生4人と行って、ご飯、パンケーキを食べた」と振り返った。詩も「心強かった。近くに兄がいたんだと。いたということも分からなかったというか。さらに、翌日の早朝には、母が経営していた喫茶店を畳んで、神戸から駆けつけたという。「寝て起きたら、もうお母さんが来て、“今日から東京に住むから”って」。詩は今も母と同居しているといい、父が神戸で単身状態に。一二三は「(父が)ずーっと“寂しい、寂しい”って」と、笑いながら明かしていた。